岩槻は人形のまち、城下町として有名になっています。
川越とともに岩槻は城下町で、三代将軍徳川家光が東照宮の造営に当たりますが、岩槻は地理的に江戸から日光へおなり街道に出た最初の宿場町であり、江戸にとってはノド首に当たり重要視されておりました。
日光東照宮の造営は寛政元年に始まり寛政十三年に終わりましたが、その間全国から集まる工人も多く、木材などの資材を運搬する人馬の往来で賑わいました。
完成後も参拝の客はあとをたたず、『日光を見ずして結構と言うなかれ』と言われるほど名所になります。
なんねんかごとに行われる東照宮の修築の際には、全国から有名無名の工品が沢山集められ、地方都市には珍しく人々の交流が盛んでした。
岩槻にすぎたるものが二つある 児玉南柯と時の鐘

東照宮の造営や修築にたずさわった工匠たちが、江戸への帰途、あるいは東海、近畿その他遠地への帰途に立ち寄った。
いろいろな事情から岩槻に居ついてしまい、関東一円は桐の産地で、桐の集積は容易であったことから、職人にもこと欠くことがンく、陸路だけでなく、綾瀬川を利用して江戸まで桐製品を送り込まれ、この水上交通は明治、大正のころまで続きました。
桐製品を作る時には相当なが出る。
このおが屑は後に岩槻を大きく変貌させて日本第一位の人形生産地にのし上げます。









魔除け、厄払いのお守りです。
お正月の羽根突きは、江戸時代の昔から女の子の遊びです。








