歴史と人形のまち岩槻 「岩槻城城門(黒門)と人形塚」

全国に知られる「人形供養」は秋。

岩槻人形供養祭 毎年11月3日に、人形塚の前で古い人形の冥福を祈り、いつくしんだ人形を供養します。

岩槻人形供養祭歴史と人形のまち岩槻 「岩槻城城門(黒門)と人形塚」

毎年11月3日(祝)に岩槻城址公園内の人形塚前において、全国の人形愛好家の方々の、捨てるにしのびないという優しい気持ちに応えようと毎年開催。

 

当日は古くなって飾らなくなったり、壊れたり、使わなくなった人形をお持ちいただき、人形塚脇の黒門の周りに並べます。

約20名の僧侶(岩槻仏教会)の読経のもとに参加者が焼香し、人形の持ち主は受付の際に渡される供養札を、天児(あまがつ・日本の人形の原形といわれ、子どもの健康と幸せを守るもの)に見守られながら、お焚き上げして冥福を祈ります。

資料抜粋 岩槻人形協同組合 HP

 

 

人形のまち岩槻 人形供養祭

歴史と人形のまち岩槻 「岩槻城城門(黒門)と人形塚」 日時 11月3日(祝) ※雨天決行

午前10時~午後2時

 

(式典は午前11時~正午)

場所 岩槻城址公園内 人形塚及び黒門周辺

 

 

 



岩槻城城門(黒門)

さいたま市岩槻区太田3-4

岩槻城(別名:白鶴城)は室町時の末に築かれ、江戸時代には江戸北方の守りの要として、有力譜代大名の居城となりました。

 

この城門は、岩槻城の城門と伝えられており、明治時代には埼玉県庁や県知事公舎の正門として、さらには旧岩槻市役所の通用門なとどして、移転、利用されてきました。

 

歴史と人形のまち 岩槻 岩槻城址 黒門

城門は木材部分が黒く塗られていることから、「黒門」の名で親しまれています。

 

岩槻城址公園には、この他にも文化財として、岩槻城跡や岩槻城裏門、岩槻城跡のケヤキがあります。

—— 市報さいたま 岩槻区版より抜粋 ——

 

見所:柱や組財、飾り金具などに、重厚な城建築の面影を伝えている。

 

岩槻城関係の数少ない現存遺構として貴重なもの。

東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩25分