雛人形の歴史 ひな祭りの由来 雛を訪ねて400年『撫物 天児・這子』 =小木人形 埼玉県 さいたま市 岩槻=

 ひな祭りの源も色々な神事・行事、信仰があって合流したものです。

 一つに『巳の日祓みのひのはらい』があります。

巳の日祓とは三月の巳の日に行なう祓のことで、撫物なでもので身体を浄めて、河原に出て祓を行うことを言います。(源氏物語、須磨の巻に登場)

 撫物は、紙を切って作ったもので人のかたちをした人形ひとかた、形代かたしろと呼ばれるものです。

後に撫物の変形として天児あまがつ這子ほうこがあります。  

雛人形の歴史 撫物 天児・這子(婢子)人形のまち岩槻 岩槻人形博物館所蔵 「天児・這子」

 両方とも小児誕生時に作られるもので、幼児を襲う穢れや災を負わせるための形代で、男女の区別なく、天児は主として宮中で、這子は民間で使われていたようです。

これが後の立雛によく似ているところは、見逃せません。

こうして人形に穢れや災を負わせる風習が各地の流しびなです。  



 

雛人形(ひな人形)、ひな祭りの由来と歴史

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