人形のまち岩槻 まちかど雛めぐり

画像の雛 享保雛(さいたま市所蔵 笛畝コレクション)

 人形のまち岩槻 五月人形も有名です

三月三日は雛まつり

人形のまち岩槻で『 雛めぐり 』を楽しみませんか

岩槻は室町時代から栄えた城下町

日本一名高い人形の産地です

今も数多く活躍する職人さんたちの作品や商店に伝わる古い人形などを数多く飾ります

期間 : 2月27(土) ~ 3月13日(日)

場所 : さいたま市・岩槻駅東口 周辺商店街

主催 : 人形のまち岩槻 まちかど雛めぐり実行委員会

連絡先 :人形のまち岩槻 まちかど雛めぐり実行委員会事務局

電話 070-1274-4971

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五月人形:3月6日から

 

期間中は無休で営業いたします。

 

 

 

 

 

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〒339-0072  埼玉県さいたま市岩槻区古ケ場2丁目 岩槻工業団地内


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私だけのオリジナル雛人形選び

雛人形を見に行ってみよう人形のまち岩槻へ

こぼくの雛人形

ひな祭りは時代を超えて受け継がれている、日本の伝統的なお祭りです。

季節のお祭りは、この国の指揮の変化や節目、そして行事の意味や歴史を子供に教えてくれます。人形のまち岩槻 小木人形 雛人形 ひな祭りの由来と歴史

お子さまの知識や情操を豊かにする、ひな祭りなどの伝統行事は印象歩かい祭りにしてあげたいですね。

こぼくのひな人形は、お顔やお飾りを自由に選べるので、お子さまに「世界でたったひとつのおひなさま」を贈ることができます。

確かな素材と伝統の技で仕上げられた最高の品質、実際に見ていただければ必ず分かるはず。

「世界でひとつだけの花」であるお子さまの成長を、ひな人形を通じてご一家でお祝いしましょう。

2016年度新作雛人形カタログを無料で進呈受付中

羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日人形のまち岩槻 小木人形 2016年度ひな人形巣カタログ進呈中

ひな人形:11月1日~2月24日

(12月30日~1月2日はお休みとなります)

期間中は無休で営業いたします。

お子さまの初正月飾りの破魔弓・羽子板、2016年度雛人形予約会を同時開催中 

 

 

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2016年度 雛人形予約会の開催中

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雛人形、ひな祭りの歴史と由来 ページ更新

雛人形(ひな人形・おひなさま)、ひな祭り(雛祭り)の歴史と由来

重陽の節句 菊の被綿の記事を追加更新いたしました。

 

ひな祭り 日本の伝統行事 水辺の行事の無病息災を祈願しての『巳の日祓い』と『ひいな遊び』が一体となって生まれました。

雛人形はいろいろな穢れ、災いの身代わりになる大切なものとして長い時間を掛けて培われ、現代も女の子の幸せを願う親心で飾ります。

色々と記事を掲載していますので、ご活用頂ければ嬉しいです。

 

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重陽の節句 後の雛(のちのひな)

健康と長寿を願う「重陽の節句」

江戸時代には「後のひな祭り」という風習が生まれました。

これは九月九日の重陽の節句にひな人形を飾り、大人の女性が幸せと長寿の願いをこめるというもの。

虫干しを兼ねて節句人形を再び飾ることで、傷むのを防いで長持ちさせようという知恵もふくまれています。

——-      全日本人形専門店チェーン小雑誌より    ——-

後の雛

「和国の女児、雛遊びをなすこと、古き物語にも出でたり。

上巳の節に拠あるよし、三月の部に注す。

今また九月九日に賞する女児多し。

源氏物語には、尋常にも雛遊びありと見えたれべ場、重陽に翫ばんには、なほさもあるべきか。

俳諧、これを名づけて”後の雛祭”とす。

上巳に対していへるなり」    ———-  滑稽雑談 (正徳三) より

日本の女の子は雛を飾って楽しんで遊ぶことを古い物語にでています。

上巳の節句をとても楽しみ、今九月九日にも雛を慈しみ楽しむ女の子が多いです。

源氏物語にはいつも雛を飾って楽しむと言われ、重陽の節句もまた同じようになさっていたようで。

これを名づけて後の雛まつり」とします。

後の雛祭りも上巳のひな祭りも同じ行事です。

三月三日のひな祭り(上巳の節句)の行事と同じく陰暦九月九日の重陽の節句に飾るおひなさまを後の雛という

 

 

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日本の行事 五節句の祝い

五節句とは季節の節目に当たる日で、一年に五回の節句を祝う

 

  •  一月七日=人日の節句(七草の節句)

新しい年の初め、七草をお粥に仕立てて食し、一年の邪気払いをする。



1月1日は特別の日とされ、
奇数の重なる日を選らばれているが1月だけは7日になっている。

  •  三月三日=上巳の節句(桃の節句)

婦女の節句、室町時代からの供え物に゛桃花酒゛または゛白酒菱餅をお供えします。



貝や魚、山菜など春を楽し具を沢山使ったちらしずし

一対の貝がらだけがぴったりと合う大人になったら、良いご縁が頂けますようにとの願いをこめてはまぐりの潮汁を頂きます。

  •  五月五日=端午の節句(菖蒲の節句)人形のまち岩槻 小木人形 お子様行事の料理

男児の成長を祝う節句

菖蒲には特別な力があると信じられ、五月五日には菖蒲湯に入ったり、菖蒲を屋根に葺いたり、悪いことが起こらないように祈ります。

粽、柏餅を食します。

  •  七月七日=七夕の節句(星まつり)

昔、七月七日は水の神様をお迎えする行事の日でした。

棚機つ女(タナバタツメ)とい呼ばれる女の人が夜通し機を織り、織り上がると神様にお供えをして、病気、災いが無い様にと、お願いをしました。

江戸時代に町の人にも広まり、願い事を短冊に書いて、笹竹につるすようになりました。

  •  九月九日=重陽の節句(菊の節句)

陽の数の「九」が重なることをめでたいとして『重陽』『重九』とも言う。 

中国には「登高」として、野に出て丘に登り、丘の上で、長寿を祈り、菊花を浮かべた『菊の酒』を飲んだ。


邪気を払うためにグミを入れた袋を身につけて、グミの酒を飲む。

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九月九日は重陽の節句 

重陽の節句は無病息災を願う五節句の一つ

陰暦九月九日の節句。陽の数である九が重なることをめでたしとして、「重陽」「重九』という。

そのころは菊の花の盛りでもあるので、菊の節句ともいう。人形のまち岩槻 小木人形 ひな祭りと雛人形の由来と歴史 菊花酒

中国では「登高」と称して、岡などに登り、長寿を祈り菊花を浮かべた菊の酒を飲む。

邪気を祓うためにグミを入れた袋を見につけるととも、グミの酒を飲むともむ言う。

日本においては、宮中で寒菊の宴を催し、菊酒をかわし、臣下に詩歌を作らせた。

民間では、農事に関連した祝いの行事として、九月九日、一九日、二九日を『三九』といい、『みくにちなす』として茄子を食べる地方もある。

また、暖めた酒は、寒さに向かう境目頃にあたる重陽の日に、酒を温めて無病息災をいのったものである。

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ひな祭り・雛人形の由来と歴史 No4

貝原益軒の「日本歳時記」にのる雛遊の図

立雛座雛を対等に一畳台に飾られている。

菱餅らしきものが三宝に載せられ、御神酒や重箱、魚などが供えられている。

立雛(たちびな)から座雛(すわりびな)へうつる時代背景

雛のかたちは、立雛と座雛に分類されます。

立雛は主として紙でつくられたので、一名紙雛とも呼ばれます。

立雛の方が歴史は古く、かたちから推察しても天児(あまがつ)、婢子からからきた男女一対の雛人形のようにみえます。

座雛は寛永(1624年)以後につくられたもので、抽象的な立雛に比べて写実的な彩りにつつまれています。

面白いのは、上巳の節句、雛遊と、雛の対象が貴族、武家にとどまっていた頃は立雛で、それが武家から庶民の手に移って、庶民の創造から生まれたのが座雛であるということです。

しかし、座雛がつくられてすぐに立雛がなくなったわけではなく享保(1716年)頃までは立雛と座雛は対等に飾られています。

そして享保以降は座雛が主、立雛が従となり次第に衰微をたどります。

 

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ひな祭り、雛人形の由来と歴史 『 雛市』

 江戸で初めて開かれてた十軒店の雛市

雛市は享保(1716年)に開市されたものらしいといわれ、十間店(じっけんだな)は後に十軒店となった。

つまり、十間を限って出店が許され、場所は今の日本橋室町二丁目、三丁目にあたり、雛人形の集散地でした。人形のまち岩槻 小木人形 雛人形・ひな祭りの歴史と由来

安永(1772年)頃には雛市は十軒店の外に尾張町(現在の中央区銀座一丁目)にも設置されています。

寛政(1789年)頃からは、浅草茅町、池之端仲町、麹町、駒込などにも雛市が開かれています。

十軒店が大変賑わい、華やかをみせたのは、ここでは匂うばかりの片はずしや、文金高髷(まげ)が見られ、あだものがが目白押しだったところから、見るは法楽とばかり物見高い江戸っ子が寄って、箱の人形が生きた雛と見比べるといったところから推して、ここは歓楽的境地の傾向をおびていったようです。

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ひな祭り、雛人形の由来と歴史 『 雛売』

雛売

『乗物ほかい、雛の道具』と呼び歩く雛売

京都から江戸へやってきたひな祭り 『雛売』

雛市にはそれが開かれている特定の場所まで会に行かなければならないのが、雛売りは移動販売の便利さと、比較的生活水準の低い人たちが利用したといわれます。

しかし明和(1764年)安永(1772年)に見られた雛売りも寛政(1789年)の頃には姿を見なかったといいますから、雛市におされてしまったものと思われます。

二月中旬から『乗物ほかい、雛の道具』と呼んで、葛籠を両掛にして、売りに来たものです。

人形は、おやま人形で、たけが4.5寸(約12cm)から、8.9寸(約24cm)までといいますからそれほどおおきなものでなく、内裏雛、小人形、雛の道具などが見られます。

五人囃子は天明(1781年)頃になって登場します。

 

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雛祭り・雛人形の由来と歴史 No3

雛人形の頭作り

京都から江戸へやってきたひな祭り

京都で生まれた雛遊はあくまでも貴族生活の縮図でした。

京都の雛遊を江戸へもたらした一人に春日の局(かすがのつぼね)の名が見られます。

こうした雛遊が、そのまま民間に浸透していったという見方と、他方では民間で芽生えた信仰が地方色豊かに存在していて、そういう幸の神を祀るかたちは、必ず男女対の像があって、婚姻、安産、育児の祈願の対象となっているのが、ひな祭りに転化されたという見方があり、それぞれの根拠がありますが、ここでは割愛して、お話を進めます。

京都の雛遊が民間で芽をふいているのは江戸よりはやいのではないかといわれるのは、雛人形の工作舎が宝暦(1751年)まで江戸に少なく、京都が独占していることからです。

京都から江戸へ雛遊が移入され、民間でも三月三日に定期的に行うようになったのは、大体寛永の末期頃(1640年)といわれております。

そして雛遊からひな祭りという呼び方に変わったのは享保(1716年)以前と言われていますから、江戸に移入してからもかなりの間雛遊と呼ばれていたわけです。

江戸風俗の中で、特に取り上げたいのが雛売りと雛市です。

 

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