七宝の円形は円満を表し、吉祥文様宝尽くしの一つ
七宝は同じ大きさの円の円周を四分の一ずつ重ねて繋いでゆく文様。
重ね方は円周の四分の一を隣の円と交叉させるようにし、宴を上下左右に繋ぐ並べ方にする連続文様。
『亀甲つなぎ』と同様、面として広がる状態をさす。
仏教でいう七宝は金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・珊瑚・瑪瑙(めのう)・蝦蛄(しゃこ)の七つの宝物。

(岩槻工業団地内)
赤ちゃん授乳室完備
七宝は同じ大きさの円の円周を四分の一ずつ重ねて繋いでゆく文様。
重ね方は円周の四分の一を隣の円と交叉させるようにし、宴を上下左右に繋ぐ並べ方にする連続文様。
『亀甲つなぎ』と同様、面として広がる状態をさす。
仏教でいう七宝は金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・珊瑚・瑪瑙(めのう)・蝦蛄(しゃこ)の七つの宝物。
今日8日は『立秋』です。
暦の上では今日から秋になります。
まだまた、厳しい暑さは続きます。
多くのところで8月15日の前後にご先祖様の霊をお迎えし、供養する『お盆』が行われます。
お盆に迎えるに当たり先ずはお墓掃除をし、お家にはご先祖様をお迎えする『盆棚』の準備をします。
お盆は盂蘭盆会という仏教の行事で、餓鬼道に堕ちた目連尊者の母親を救うために供養したという伝説からはじめられました。
ですからお盆のときはお供え物として食べ物をたっぷり用意するとされます。
しかし、同時に仏教行事とのかかわりだけでな、日本古来の先祖祭りが由来であるとも言われます。
『盆と正月がいっしょに来たようだ』という言葉があるように、お盆のときに先祖の霊を迎え、盆の供え物をしたり、迎え火をたくのは、正月に餅を備えて年神様を迎え、迷わないように門松を立てたりするのと同じことなのです。
ですから、盆という名称も盂蘭盆会から来ているのではなく、昔『ぼんに』と呼ばれた精霊祭りに供え物を盛る容器から来ているという説もあります。
—— 講談社 えほん百科 ぎょうじのゆらい より抜粋 —–
正六角形(一角がすべて120度の均一となっている)の幾何学文様はもともと西アジアかに起こり中国や朝鮮から日本に伝わった。
日本では亀の甲羅に似ているのでこの名がつけられ吉祥文様となった。
平安時代から有職文様として使われる。
六角形をつないでゆくつなぎ文様が基本的なパターン。
亀甲文の中に、花弁が入れてあるものを、日本では『亀甲花菱』とよんでいる。
シルクロード伝来の花喰い鳥文が平安時代に変化し、おめでたい松と鶴のくみあわさったもの。
現在の皇后さまの御唐衣。
鶴は千年亀は万年と言われるよう長寿を表す文様です。
飛鳥・奈良時代は仏教の伝来により、大陸からもたらされた仏教美術工芸の品々を愛好し、仏教関係品に施された装飾文様を次々とうけいれる。
平安時代になると日本的なものへと関心が高まり、松・梅・など身近なものへと変わって行く。
羽根を広げた2匹の蝶で構成された丸文。
多くは浮線文様として女房装束の唐衣などに用いられた。
平安時代より宮廷や貴族を中心に調度品や衣服類に、伝統的に用いられた文様の中の、特に衣服などに使われることの多いものを、有職文様とよびます。
天皇の御袍の文様は桐竹鳳凰ですが、後世この上に麒麟(きりん)という空想上の動物の文様が加わります。
天皇の御袍は『黄櫨染(こうろうぜん)』の色で、これは重い御式のときの御召しもの。
軽い御式のときは『麹塵(きくじん)』と呼ぶ玉虫色に見える色で同じ文様の御袍を御召しになります。
—— 参考資料 文様の四季 木村孝 著 —–
鳳凰は桐林に棲み竹の実を食べるという中国の故事に由来、天皇専用に用いられる有職文様。
毎度格別なるご愛顧を賜り、誠にありがとうございます。
うだるような暑さですが、皆様にはご健勝のこととお慶び申し上げます。
夏の土用といい一年中で一番暑い時期です。
和菓子屋さんに『土用餅』を見かけるのもこのころです。
古くから、土用の入りに小豆餅を食べて暑気払いし暑い夏を乗り切るとか言います。
他に、食い養生といえば、鰻やシジミも食べたりします。
まだまだ暑さは続きますのでお身体ご自愛くださいますよう。
岩槻城址公園
さいたま市岩槻区太田3-4
岩槻城の曲輪の部分に当たる。公園内には、黒門と呼ばれる岩槻城の表門が保存されている。
また、黒門と向かい合うように人形塚があります。
公園内桜の名所です。
岩槻の城址公園の園内の八つ橋がかけられた菖蒲池には今のこの時期は睡蓮が咲いています。
庭園には欠かせない柳が池を引き立たせていましたが、今ではその柳も姿が無くなりさびしいですがねぇ~。
竹は文様でも他のものと組み合わせてみたり、竹そのものを使ったりといろいろな文様がある。
まっすぐに伸びる竹は古くから神聖な植物とされてきた木です。
文様として
竹林には雀の姿は見る自然な情景です。
梅に松とともに使う文様は吉祥文様です。
中国では虎は竹林に住むという。
日本ではそのまま竹と虎が組み合わて意匠化される。
岩槻は江戸から九里、そのノド頭に当たる日光御成街道の宿場であった。
日光に通じる御成街道 杉並木がある。
岩槻城下の繁栄の名残りが感じられる。三代将軍家光が日光に東照宮を造営し、その街道筋に当たる宿場町であり、城下町の岩槻は想像以上のにぎわいを見せていた。
東照宮の造営は寛政元年に始まり、寛政13年に終わるが、その間全国から集まる工人も多く、木材などの資材を運搬する人馬の往来で賑わい、完成後も参拝の客はあとをたたず、『日光見ずして結構というなかれ』といわれるほどの名所になって、死ぬまでには一度は日光を見ておきたいものだと、全国から引きも切らずに老若男女がやってきたし、将軍の主催する祭にも各地の大小名がはせ参じた。
とくに何年かごとに行なわれる東照宮の修築には、全国から有名無名の工品がたくさん集められたから、地方都市にはめずらしく人々の交流もさかんであった。
その杉並木のある御成街道を少し進むと東武動物公園がある。
29日、東北北部と九州北部がようやく梅雨明けした。との発表がありました。
すべての地域が梅雨明け一年中で一番暑い時期です。
ところで、小木人形から車で20分くらいの距離に東武動物公園がございます。
この暑い夜をお子さまと動物園も良いでしょうね。
ライトアップされた夜の動物たちを観察してみるのも楽しいです。