雛人形の文様 鴛鴦文

皇太子さまは鴛鴦の丸文様に黄丹色の御袍です。人形のまち岩槻 小木人形 雛人形の文様 鴛鴦の丸

鴛鴦(おしどり)

雄を鴛(えん)、雌を鴦(おう)といいます。

鳥類の中で鶴につぐ吉祥文様。

鴛鴦は雄雌が仲がとても良く常に一緒にいることから夫婦和合に例えられています。

 

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秋草 薄(すすき)

秋草の一つ「薄(尾花)

萩が花尾花葛花撫子の花女郎花また藤袴朝顔の花

(はぎのはな おばな くずはな なでしこのはな

おみなえし また ふじばかま あさがおのはな)

山上憶良「万葉集」]

薄の穂がもう白く風に揺れて秋を思わせる頃となってしまいました。

秋草は決して華やかなものではないでしょうが、静寂を感じるものがあります。

心を落ち着かせて下さると思います。

これからはいろいろと秋草を見かけることができますので、是非、散歩を楽しんでみてください。

 

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「露ほど」のという粋な感性を楽しみましょう ♪ 

 鹿

日本では奈良の春日大社の神鹿など鹿への信仰があります。

奈良 鹿  人形のまち岩槻小木人形秋の風物として紅葉や秋草とともに文様とされています。

夏の着物で鹿と紅葉の文様をあしらった帯の和服姿の女性をこの盛夏にみかけました。

季節を先取りして涼感を感じさせてもらえる粋なものでした。

秋と言えば九月・十月・十一月の三月をさします。

九月八日は草木に露が宿り秋の気配漂う「白露」です。

夏から秋へ移り変わります。

活発な季節から静かさを味わうとっておきの季節を楽しみませんか。

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重陽の節句 後の雛(のちのひな)

健康と長寿を願う「重陽の節句」

江戸時代には「後のひな祭り」という風習が生まれました。

これは九月九日の重陽の節句にひな人形を飾り、大人の女性が幸せと長寿の願いをこめるというもの。

虫干しを兼ねて節句人形を再び飾ることで、傷むのを防いで長持ちさせようという知恵もふくまれています。

——-      全日本人形専門店チェーン小雑誌より    ——-

後の雛

「和国の女児、雛遊びをなすこと、古き物語にも出でたり。

上巳の節に拠あるよし、三月の部に注す。

今また九月九日に賞する女児多し。

源氏物語には、尋常にも雛遊びありと見えたれべ場、重陽に翫ばんには、なほさもあるべきか。

俳諧、これを名づけて”後の雛祭”とす。

上巳に対していへるなり」    ———-  滑稽雑談 (正徳三) より

日本の女の子は雛を飾って楽しんで遊ぶことを古い物語にでています。

上巳の節句をとても楽しみ、今九月九日にも雛を慈しみ楽しむ女の子が多いです。

源氏物語にはいつも雛を飾って楽しむと言われ、重陽の節句もまた同じようになさっていたようで。

これを名づけて後の雛まつり」とします。

後の雛祭りも上巳のひな祭りも同じ行事です。

三月三日のひな祭り(上巳の節句)の行事と同じく陰暦九月九日の重陽の節句に飾るおひなさまを後の雛という

 

 

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日本の行事 五節句の祝い

五節句とは季節の節目に当たる日で、一年に五回の節句を祝う

 

  •  一月七日=人日の節句(七草の節句)

新しい年の初め、七草をお粥に仕立てて食し、一年の邪気払いをする。



1月1日は特別の日とされ、
奇数の重なる日を選らばれているが1月だけは7日になっている。

  •  三月三日=上巳の節句(桃の節句)

婦女の節句、室町時代からの供え物に゛桃花酒゛または゛白酒菱餅をお供えします。



貝や魚、山菜など春を楽し具を沢山使ったちらしずし

一対の貝がらだけがぴったりと合う大人になったら、良いご縁が頂けますようにとの願いをこめてはまぐりの潮汁を頂きます。

  •  五月五日=端午の節句(菖蒲の節句)人形のまち岩槻 小木人形 お子様行事の料理

男児の成長を祝う節句

菖蒲には特別な力があると信じられ、五月五日には菖蒲湯に入ったり、菖蒲を屋根に葺いたり、悪いことが起こらないように祈ります。

粽、柏餅を食します。

  •  七月七日=七夕の節句(星まつり)

昔、七月七日は水の神様をお迎えする行事の日でした。

棚機つ女(タナバタツメ)とい呼ばれる女の人が夜通し機を織り、織り上がると神様にお供えをして、病気、災いが無い様にと、お願いをしました。

江戸時代に町の人にも広まり、願い事を短冊に書いて、笹竹につるすようになりました。

  •  九月九日=重陽の節句(菊の節句)

陽の数の「九」が重なることをめでたいとして『重陽』『重九』とも言う。 

中国には「登高」として、野に出て丘に登り、丘の上で、長寿を祈り、菊花を浮かべた『菊の酒』を飲んだ。


邪気を払うためにグミを入れた袋を身につけて、グミの酒を飲む。

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九月九日は重陽の節句 

重陽の節句は無病息災を願う五節句の一つ

陰暦九月九日の節句。陽の数である九が重なることをめでたしとして、「重陽」「重九』という。

そのころは菊の花の盛りでもあるので、菊の節句ともいう。人形のまち岩槻 小木人形 ひな祭りと雛人形の由来と歴史 菊花酒

中国では「登高」と称して、岡などに登り、長寿を祈り菊花を浮かべた菊の酒を飲む。

邪気を祓うためにグミを入れた袋を見につけるととも、グミの酒を飲むともむ言う。

日本においては、宮中で寒菊の宴を催し、菊酒をかわし、臣下に詩歌を作らせた。

民間では、農事に関連した祝いの行事として、九月九日、一九日、二九日を『三九』といい、『みくにちなす』として茄子を食べる地方もある。

また、暖めた酒は、寒さに向かう境目頃にあたる重陽の日に、酒を温めて無病息災をいのったものである。

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九月一日は二百十日

八月も今日で終わります。

明日は九月一日で立春から数えて210日目に当たります。

この頃は風雨の激しい日とされ、台風が日本にやってくるころとされています。

この時期は農作物・稲などには特に気を使います。人形のまち岩槻 雀

ところで、当店の駐車場の一角に雀のために小鳥のエサを蒔いておくのですが、ここのところ、さっぱり雀たちは姿を見せません。

稲が熟した穂を垂れる様子からみて、雀たちは稲の穂をついばんでいるのだろうか。

お米に感謝をして美味しくいただきま~す。

 

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ひな祭り・雛人形の由来と歴史 No5

古今雛

衣裳に金糸、色糸を使って鳳凰薬玉の縫紋を加工したり、袖に紅綸子を用いて色彩を豊か

座雛に見る江戸工芸美の極致

座雛が技術的に完成の域に達したと見られるのは次郎左衛門雛でしょう。

延享(1744年)につくられたもので、京都の岡田性菱屋次郎左衛門の創案によります。

次郎左衛門雛の特徴は、面長に描いた首を整った曲線でまとめ、顔は引目かぎ鼻の典雅な筆で全体に清新な味を表現しています。

男雛は、黒袍に、くぼみに霞の紋が浮織になっている袴をつけています。人形のまち岩槻 小木人形 ひなまつり、雛人形の由来と歴史

女雛は、五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)に裳(もすそ)をはいています。

雛人形の中でも佳作の部に属しているといわれ次郎左衛門雛の流行は圧倒的に江戸の人気を独占しました。

しかし宝暦九年(1759年)江戸が京都の移入を禁止したため、享の菱屋(次郎左衛門)、かぎやの江戸進出となります。

宝暦末に菱屋が江戸へ進出して以来、次郎左衛門雛は、明和、安永より天明を経て、寛政末年まで、およそ三十余年の間に、すっかり江戸化してしまったと見られます。

次郎左衛門雛の衰退は、京都に対抗する江戸人の義慣と見る向きもありますが、やはり江戸人の好みにあった江戸雛として、古今雛が登場するに及んで、全く姿を消しました。

古今雛は、明和(1764年)年末に原舟月の手によってつくられました。

古今雛が従来の雛と違う点だけをとりあげますと、衣裳に金糸、色糸を使って鳳凰薬玉の縫紋を加工したり、袖に紅綸子を用いて色彩を豊かにしたことと、二畳台を設けて雛を据えていること、頭が写生的に精妙を極めた点などがあります。

なかでも画期的な技巧は、原舟月が山車の人形の製作者だったところから、雛の両眼に玻璃玉(はりだま)を嵌め込んだことといわれます。

それから以降の雛は多く古今雛の技法を取り入れてつくられています。

 

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ひな祭り・雛人形の由来と歴史 No6

宝鏡寺

〒602-0072 京都市上京区寺之内通堀川東入ル百々町547

京都に、今ものこる人形寺の雛人形・御所人形

江戸の中期まて、雛人形の工作舎は殆ど京都で占められていたことは前にも書きましたが京都の江戸移入が禁止されてからは、江戸は江戸、京都は京都で作られているようです。

次郎左衛門雛より少し遅れて、京都には山科雛、高倉雛が貴族階級に限られ飾られていました。

京都今出川堀川に宝鏡寺という尼寺があります。

この地では俗に人形寺と呼ばれしられています。

この寺は厄650年前の光厳天皇(1331年)の皇女華林恵厳禅尼開山により臨済宗の門跡寺院てあり、中世京洛に栄えた尼五山の一つであった景愛寺の法灯を今に伝える位(くらい)高いお寺です。

歴代皇女方が出家入山されたところから「百々(どど)御所」とも呼ばれています。

皇女方が入寺されているため、おひな祭りのたびに御所から人形が贈られて、いつの頃からか人形寺として名高くなり、由緒ある人形が数多く保存されています。

皇女和の宮さまもたびたびこのお寺へお成りになり、桂御殿のご普請中はこの寝殿にお住いになられました。

和の宮さまおかくれの後、宝鏡寺へ御遺品としてご愛用品や絵巻物など下賜され今も保存されているのは、こんなゆかりからでしょう。

この寺では年二回春と秋に新古人形の名品の展示の一般公開がございます。

春の展示には雛人形を中心に飾られます。

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秋の気配を感じます 処暑

散歩道で今年も烏瓜のお花を見かけました。

日中は花弁は開いていませんが夕方になりますと開いてしとやかな容烏瓜 花 人形のまち岩槻 小木人形姿を観察できます。

田んぼも稲刈りが始まります。

ようやく暑さが和らいでくるようです。

岩槻の人形店もお盆が済みますと、雛人形の準備にいよいよ入ります。

小木人形でも2016年新作のおひなさま・飾り段・屏風など整いつつあります。

今年も11月初旬にかけて、雛人形の準備を進めてまいりますので、今しばらくお待ちくださいますようご案内申し上げます。

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