中秋の名月は別名『芋名月』と呼ばれています。
中秋の名月には里芋や栗をお供えし、月に秋の収穫を感謝いたします。
里芋は一株で子芋、孫芋とどんどん増えることから、祝い事には欠かせない食材のようです。
今年も芋を使ったお料理で十五夜を楽しみましょう。



赤ちゃん授乳室完備
中秋の名月には里芋や栗をお供えし、月に秋の収穫を感謝いたします。
里芋は一株で子芋、孫芋とどんどん増えることから、祝い事には欠かせない食材のようです。
今年も芋を使ったお料理で十五夜を楽しみましょう。
干支が一回りして、生まれた干支にもどる。
70歳まで生きることは稀なことであると、杜甫が言ったことから
『喜』の草書体が七十七に見えます。
『傘』の略字八十になります。
米という字を眼科医してみると『米』となります。
『卒』の旧字体「卆」が九十となります。
『百』の字から『一』を抜くと九十九になります。
普段から「ありがたい」という気持ちは持っていてもなかなか思うようには伝わりませんねぇ~。
この9月19日の敬老の日には祖父母、ご両親に感謝の気持ちをお伝えしたいものです。
「月にはうさぎが住んでいて餅つきほをしている」と楽しくなるお話がございます。
正倉院の南倉には密陀絵雲兎形赤漆櫃みつだえくもうさぎがたせきしつのひつ」と呼ばれる唐櫃がある。
花樹に跳びかかる2匹の羽の生えた兎が描かれています。
月にはちもともと不老不死の霊薬をつく兎が住んでいて、枯れることのない桂の木が生えているという伝えが中国にはあるようです。
兎はある老人を助けようと燃え盛る火に飛び込んでわが身をささげるその行いを憐み、老人は帝釈天になって姿を現しその遺骨を月に収めて後世までその善行を伝えた。
今でも、兎は童謡とか説話などに親しまれています。
うさぎの大きな耳でぴょんびょんと飛び跳ねることから飛躍のお守りとして、また多産であることから子孫繁栄の象徴として知られています。
誰が書いたのかわかりませんが、手書きで書かれた説明を書き添えておきます。
主に江戸時代 幕府や藩から法令は名手通じて村の人々に伝えられたり木の札に書いて決められた場所に掲げられました。
高札を掲げた場所を高札場と言いました。
人々の集まる道の辻舟乗り場の橋のたもと、宿場や村々には必ず高札場が設けられていました。
有名な高札場は江戸日本橋品川側岸、京都三条大橋のたもと全国数千か所もありましたが、現在現地に復元されているのは中山道妻籠粛、甲州街道府中宿等があります。
ここでは日光方面初めての辻、左側問屋場の前にありました。
五代将軍綱吉の『生類憐みの令しょうるいあわれみのれい』が掲げられました。
岩付藩でも犬小屋が設けられました。
1550年頃、問屋場といやば旅人の荷物を次の宿場まで運ぶ通信業務をするため馬役人をそろえた場所。
その経費は地元で間口に応じて負担をしました。
ペリーの黒船来航を会津藩等に伝えました。
今年は中秋の名月と満月の日が2日ずれています。
中秋の名月は、新月となる日から数えて15日目の夜の月を云い、満月は、地球から見て月と太陽が反対方向になった瞬間月のことです。
お月のパワーをお月で戴きましょう。
一年で一番お月さまが美しい秋の月、月の光をたっぷり頂いた月見団子を頂くのは有難いことではないですか。
月の満ち欠け
月はおよそ一か月の間にだんだんと丸くなったり、欠けたりしてゆきます。それを毎月同じように繰り返します。
それで一年中の農作業などにやくだてたのです。
秋には特に満月はとっても綺麗に丸く見え、月を眺めて楽しむだけでなく、感謝をしてまいりました。
秋の七草(葛・女郎花・萩・桔梗・藤袴・撫子・薄)と団、芋、果物と一緒に飾ります。
江戸時代、岩槻城下の出入り口は、市宿口いちじゅくぐち、諏訪小路口すわこうじぐち、丹過口たんがぐち、林道口りんどうぐち、田中口たなかぐちなどがありました。
それぞれの口には木戸門がもうけられ、番所が置かれていました。
このうち田中口門は、屋根が立派な造りの門で、城下の人々は皆、この木戸門を誇りに思っていました。
しかし屋根があり間口が狭いため、馬や荷車の通行には不便をきたしてもいました。
あるとき、日光東照宮へ行く将軍の行列がこの木戸を通ろうとしました。
行列は槍を先頭に進んできましたが、屋根が邪魔でやりを立てたままでは通ることが出来ません。
行列の供頭ともがしらは「ふとどきである。屋根を取り壊してしまいましえ」と言って取り壊そうとしました。
大切な木戸門がこわされては大変とばかり、町人たちは城主・永井直陳ながいなおのぶに訴えでました。
永井直陳は、気が強く心正しいことでは幕府内でも有名で「せっかく今ある屋根を壊すことはない。槍を倒して通りなさい」と供頭に言いました。
供頭は槍をかえす(倒す)ことは将軍の威光にかかわることだと言いましたが、直陳が頑として大島千。
しかたなく行列は槍を倒して木戸門を通っていったということです。
その後、木戸門は取り払われることになりましたが、壊してしまうのは惜しいと、この門を浄安寺に移設しました。
城下の人々はこの門を『槍がえしの門』と親しみをこめて呼ぶようになったということです。
引用資料 いわつき郷土文庫 第2集 岩槻の伝説 岩槻市教育委員会
中国では、この日は香気の強いグミの実などを身につけて高い丘などに登り、菊酒を酌み交わし、
お互いの長寿と無病息災を願う風習がありました。
この風習が奈良時代に日本に伝わり、『菊花の宴うたげ』として宮中で行われたのが始まりとされています。
平安時代になると重陽の節句は正式な宮中行事として定着しました。
臣下に菊酒と氷魚ひおを振る舞い、儀式が終わるとたいそうなお土産が配られたといわれています。
—– 引用資料 和ごよみと四季の暮らし 新谷尚紀監修 —–
菊の露は長寿の薬効とされ、陰暦九月八日に菊の花に綿を被せて置き、翌九日、夜露を染み込ませた綿で体を撫でると、老いを拭い去るというものです。
重陽の節句(九月九日)の行事で、前夜菊の花に花色に染めた真綿をおおって、その露や香を移しとり翌朝その綿て顔や身体を払うと不老長寿が保たれるというもので、平安時代に盛んに行われていました。
ことにこの時代の女性には菊の持つ不老・若返りの効をも信じられていた様で、紫式部が道長夫人の源倫子より菊の被綿を贈られて大感激して詠んだ歌が有名です。
菊の露わかゆばかりに袖ふれて
花のあるじに千代はゆづらむ
被せる綿は色付で、赤い菊には白い綿、白い菊には黄色、黄色い菊には赤色の綿を被せたとされています。
栗ごはん・菊の天ぷら・菊のおひたし・菊のお花の彩のサラダ
菊の意味を盛り込んだ和菓子など
三月三日のひな祭りに対して 、旧暦九月九日(新暦でいえば10月中旬頃)の重陽の節句、または八月朔日(八月一日 )に飾るおひなさま。
幕末頃には大阪の一部や徳島・伊勢地方でおひなさまを飾る風習があった。
八朔に飾る風習も、西日本の広い地域で行われた。
重陽に飾る雛を菊雛という。
菊の花をお飾りして、もう一度ひな祭りを楽しみましょう。
縁起の良い奇数(陽数)の最大値”9”が重なることから重陽とよばれます。
陰暦九月九日の節句。陽の数である九が重なることをめでたしとして、「重陽」「重九』という。
そのころは菊の花の盛りでもあるので、菊の節句ともいう。
中国では「登高」と称して、岡などに登り、長寿を祈り菊花を浮かべた菊の酒を飲む。
邪気を祓うためにグミを入れた袋を見につけるととも、グミの酒を飲むともむ言う。
日本においては、宮中で寒菊の宴を催し、菊酒をかわし、臣下に詩歌を作らせた。
民間では、農事に関連した祝いの行事として、九月九日、一九日、二九日を『三九』といい、『みくにちなす』として茄子を食べる地方もある。
また、暖めた酒は、寒さに向かう境目頃にあたる重陽の日に、酒を温めて無病息災をいのったものである。
岩槻城落城の伝説
天正十八年(1590)、豊臣秀吉は天下統一を成し遂げるため関東に攻め込みました。
そして敵対する岩槻城へは徳川家康の部下の一隊が兵数約一万三千をもって攻め寄せてきました。
しかし、そのとき岩槻城主太田氏房は、豊臣軍による小田原城攻撃に備えるため兵を大勢率いて小田原に赴き、城を留守にしていました。岩槻城攻撃の大将本多忠勝は花積台(春日部市)に櫓を組み城内を偵察したところ、鎧兜に実を固め来攻を待ち構えている多数の武士の姿が見えました。
ところが、たまたま飛んできた一羽の烏からすが一人の鎧武者に止まったため、これは本物の城兵ではなく防備が手薄のため藁人形を鎧武者に仕立てたものなのだと見破られてしまいました。攻撃側は直ちに城を攻め落とそうと辻村(大字南辻)の鎮守八幡神社境内で甲冑を付けて岩槻城討ち入りの用意をしました。
しかし、攻撃の準備は整ったものの目の前には水かさを増した荒川がものすごい勢いで流れていて、渡れそうにありません。どうしたらよいものかと思案にくれていたところ、白髪、白装束の老人が白馬にまたがり、荒波をけたてて対岸の久伊豆神社の森に消えていったのです。
「浅瀬があるぞ。あそこで川を渡るのだ」と直ちに命令が下されました。
綾瀬を通って攻め入った大勢の豊臣軍の前に岩槻城は攻め落とされてしまいました。
老人が渡った所は、万一に備え岩槻城の兵が避難する道として川底に石を敷き詰めて作っておいたものでした。
実は綾瀬を渡った白髪の老人は辻の八幡大菩薩で、豊臣軍の来週を岩槻城に知らせるため元荒川を渡ったものでした。
しかし、そのことが逆に仇となり、敵を導き入れることになってしまったということです。
< 引用資料 いわつき郷土文庫 第2集 岩槻市教育委員会 >
草木に露が宿り秋の気配漂うこのころから季節の深まりを感じます。
七十二候
草に落ちた露が白く光る
セキレイが鳴きはじめる
ツバメが南を指して去って行く