雛人形の歴史 ひな祭りの由来 雛を訪ねて400年『座雛の江戸工芸美』 =小木人形 埼玉県 さいたま市 岩槻=

座雛が技術的に完成の域に達したとみられるのは次郎左衛門雛

 

延享(1744年)に作られたもので、京都の岡田姓菱屋次郎左衛門の創案によります。

次郎左衛門雛の特徴は、面長に描いた首を整った曲線でまとめ、顔は引き目かぎ鼻の典雅な筆で全体に清新な味を表現しています。

雛人形の由来 雛人形の歴史 次郎左衛門雛男雛は、黒袍に、くぼみに霞の紋が浮織になっている袴をつけます。

女雛は、五衣いつつぎぬ唐衣からぎぬに裳もすそをはいています。

 

 

 

次郎左衛門雛の衰退は、江戸人の好みにあった江戸雛として、古今雛が登場するに及んで、全く姿を消しました。

雛人形の歴史 古今雛

 

古今雛が従来の雛と違う点は、鳳凰や薬玉の縫紋を加工したり、袖に紅綸子べにりんずを用いて色彩を豊かにしたこと、二畳台を設けて雛を据えていること、頭が写実的に精妙を究めた点があります。

 

 



 

雛人形(ひな人形)、ひな祭りの由来と歴史

人形のまち岩槻 小木人形 ひな人形初めてクラブ人形のまち岩槻 小木人形 五月人形はじめてくらぶ

人形のまち岩槻 小木人形 五月人形雛人形・五月人形 人形のまち岩槻 小木人形

雛人形(おひなさま)ページを更新いたしました。

いつも小木人形ブログにお越しいただき有難うございます。

雛人形のページでは色々と検索にあ上がる事柄を織り込んだ充実した内容にさせて頂きました。

雛人形の歴史・由来などを通し、日本の伝統文化を深めて頂きたくご案内申し上げます。

雛を訪ねて400年

 

ひな祭りの源も色々な神事・行事、信仰があって合流したものです。

一つに『巳の日祓みのひのはらい』があります。

後に撫物の変形として天児あまがつ這子ほうこがあります。

 

雛遊ひいなあそび

大人を対象として、貴族間などに見られます。

 

立雛から座雛へ

雛の形は、立雛と座雛に分類されます。

 

座雛の江戸工芸美

座雛が技術的に完成の域に達したとみられるのは次郎左衛門雛でしょう。

 

雛に出された奢侈取締令

奢侈しゃし取締令は、士農工商という身分差別をつけて、商人を一番低い身分に置いたが、泰平の世が続くと、商人は財を貯え奉公人を多くかかえ、社会における隠れた支配力を持つようになってくる。

奢侈取締令が雛に適用されたのは最初は慶安2年2月(1649年)今から約3百年前のことである。

民間の美化的傾向を取り締まったものだが、徳川家からの注文品は例外としている。

つまり民間にかぎっている。

この時の対象は雛道具であった。人形にはまだそれほど高価で目に余るものはなかったようである。

雛人形(おひなさま)