ひな祭り・雛人形の由来と歴史 No6

宝鏡寺

〒602-0072 京都市上京区寺之内通堀川東入ル百々町547

京都に、今ものこる人形寺の雛人形・御所人形

江戸の中期まて、雛人形の工作舎は殆ど京都で占められていたことは前にも書きましたが京都の江戸移入が禁止されてからは、江戸は江戸、京都は京都で作られているようです。

次郎左衛門雛より少し遅れて、京都には山科雛、高倉雛が貴族階級に限られ飾られていました。

京都今出川堀川に宝鏡寺という尼寺があります。

この地では俗に人形寺と呼ばれしられています。

この寺は厄650年前の光厳天皇(1331年)の皇女華林恵厳禅尼開山により臨済宗の門跡寺院てあり、中世京洛に栄えた尼五山の一つであった景愛寺の法灯を今に伝える位(くらい)高いお寺です。

歴代皇女方が出家入山されたところから「百々(どど)御所」とも呼ばれています。

皇女方が入寺されているため、おひな祭りのたびに御所から人形が贈られて、いつの頃からか人形寺として名高くなり、由緒ある人形が数多く保存されています。

皇女和の宮さまもたびたびこのお寺へお成りになり、桂御殿のご普請中はこの寝殿にお住いになられました。

和の宮さまおかくれの後、宝鏡寺へ御遺品としてご愛用品や絵巻物など下賜され今も保存されているのは、こんなゆかりからでしょう。

この寺では年二回春と秋に新古人形の名品の展示の一般公開がございます。

春の展示には雛人形を中心に飾られます。

五月人形はじめてくらぶ

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(岩槻工業団地内)

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秋の気配を感じます 処暑

散歩道で今年も烏瓜のお花を見かけました。

日中は花弁は開いていませんが夕方になりますと開いてしとやかな容烏瓜 花 人形のまち岩槻 小木人形姿を観察できます。

田んぼも稲刈りが始まります。

ようやく暑さが和らいでくるようです。

岩槻の人形店もお盆が済みますと、雛人形の準備にいよいよ入ります。

小木人形でも2016年新作のおひなさま・飾り段・屏風など整いつつあります。

今年も11月初旬にかけて、雛人形の準備を進めてまいりますので、今しばらくお待ちくださいますようご案内申し上げます。

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ひな祭り・雛人形の由来と歴史 No4

貝原益軒の「日本歳時記」にのる雛遊の図

立雛座雛を対等に一畳台に飾られている。

菱餅らしきものが三宝に載せられ、御神酒や重箱、魚などが供えられている。

立雛(たちびな)から座雛(すわりびな)へうつる時代背景

雛のかたちは、立雛と座雛に分類されます。

立雛は主として紙でつくられたので、一名紙雛とも呼ばれます。

立雛の方が歴史は古く、かたちから推察しても天児(あまがつ)、婢子からからきた男女一対の雛人形のようにみえます。

座雛は寛永(1624年)以後につくられたもので、抽象的な立雛に比べて写実的な彩りにつつまれています。

面白いのは、上巳の節句、雛遊と、雛の対象が貴族、武家にとどまっていた頃は立雛で、それが武家から庶民の手に移って、庶民の創造から生まれたのが座雛であるということです。

しかし、座雛がつくられてすぐに立雛がなくなったわけではなく享保(1716年)頃までは立雛と座雛は対等に飾られています。

そして享保以降は座雛が主、立雛が従となり次第に衰微をたどります。

 

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ひな祭り、雛人形の由来と歴史 『 雛市』

 江戸で初めて開かれてた十軒店の雛市

雛市は享保(1716年)に開市されたものらしいといわれ、十間店(じっけんだな)は後に十軒店となった。

つまり、十間を限って出店が許され、場所は今の日本橋室町二丁目、三丁目にあたり、雛人形の集散地でした。人形のまち岩槻 小木人形 雛人形・ひな祭りの歴史と由来

安永(1772年)頃には雛市は十軒店の外に尾張町(現在の中央区銀座一丁目)にも設置されています。

寛政(1789年)頃からは、浅草茅町、池之端仲町、麹町、駒込などにも雛市が開かれています。

十軒店が大変賑わい、華やかをみせたのは、ここでは匂うばかりの片はずしや、文金高髷(まげ)が見られ、あだものがが目白押しだったところから、見るは法楽とばかり物見高い江戸っ子が寄って、箱の人形が生きた雛と見比べるといったところから推して、ここは歓楽的境地の傾向をおびていったようです。

人形のまち岩槻 小木人形 雛人形・ひな祭りの歴史と由来

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ひな祭り、雛人形の由来と歴史 『 雛売』

雛売

『乗物ほかい、雛の道具』と呼び歩く雛売

京都から江戸へやってきたひな祭り 『雛売』

雛市にはそれが開かれている特定の場所まで会に行かなければならないのが、雛売りは移動販売の便利さと、比較的生活水準の低い人たちが利用したといわれます。

しかし明和(1764年)安永(1772年)に見られた雛売りも寛政(1789年)の頃には姿を見なかったといいますから、雛市におされてしまったものと思われます。

二月中旬から『乗物ほかい、雛の道具』と呼んで、葛籠を両掛にして、売りに来たものです。

人形は、おやま人形で、たけが4.5寸(約12cm)から、8.9寸(約24cm)までといいますからそれほどおおきなものでなく、内裏雛、小人形、雛の道具などが見られます。

五人囃子は天明(1781年)頃になって登場します。

 

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雛祭り・雛人形の由来と歴史 No3

雛人形の頭作り

京都から江戸へやってきたひな祭り

京都で生まれた雛遊はあくまでも貴族生活の縮図でした。

京都の雛遊を江戸へもたらした一人に春日の局(かすがのつぼね)の名が見られます。

こうした雛遊が、そのまま民間に浸透していったという見方と、他方では民間で芽生えた信仰が地方色豊かに存在していて、そういう幸の神を祀るかたちは、必ず男女対の像があって、婚姻、安産、育児の祈願の対象となっているのが、ひな祭りに転化されたという見方があり、それぞれの根拠がありますが、ここでは割愛して、お話を進めます。

京都の雛遊が民間で芽をふいているのは江戸よりはやいのではないかといわれるのは、雛人形の工作舎が宝暦(1751年)まで江戸に少なく、京都が独占していることからです。

京都から江戸へ雛遊が移入され、民間でも三月三日に定期的に行うようになったのは、大体寛永の末期頃(1640年)といわれております。

そして雛遊からひな祭りという呼び方に変わったのは享保(1716年)以前と言われていますから、江戸に移入してからもかなりの間雛遊と呼ばれていたわけです。

江戸風俗の中で、特に取り上げたいのが雛売りと雛市です。

 

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雛祭り・雛人形の由来と歴史 No2

雛人形七段飾り

ひな祭りの風習が一般庶民に浸透されたのは、江戸時代中期以降

人形のまち岩槻 小木人形 雛人形雛遊(ひいなあそび)が教えるもの

上巳の祓とは別に雛遊という人形を持って遊ぶ児戯があります。

これを『ひいなあそび』とよんでいます。

これについて本居宣長は、ちいさく造ってあるので鳥のひなに例えて雛というと、言っておりますが、もともと京都が発祥地で、『ひいな』は京都の鉛とする方が自然のようです。

雛遊びが初めて史書に登場したのは、大人を対象としたもので、貴族の遊びに見られます。

これが子供の世界に広まったのは、かなり早いようです。

この雛遊びがひな祭りに発展していったとみる根拠は、ひな祭りの人形が、ひいなあそびのひいなが進化したものと見られることにあります。

また雛遊が単なる子供の『ままごと遊び』と違うところは、必ず男女対の人形を使っていることで、夫婦の純潔の道徳を心に植えつけ、雛道具は、婦女子の世帯の教訓、嫁入り道具を意識したものと言われています。

三月三日の上巳の祓と雛遊が結びついて、後のひな祭り

 

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おひなさまの飾り方 内裏雛の並べ方

関東の方は何か、昔の内裏雛は向かって右が男雛、左が女雛なのに、今は雛飾りは反対に飾られていると思いませんか。

日本には昔から左尊右卑の思想がありました。

左大臣は右大臣より上位にあり、将軍、大名の御座所で、殿様は左に奥方は右にならぶのは、テレビなどで良く見かけると思います。

内裏雛の並べ方もそのため上記のようでしたが、昭和初年になって御真影(天皇さま・皇后さまのお写真)が向人形のまち岩槻 小木人形 雛人形かって左に天皇さま、右に皇后さまをかかげたので、同じようにしてはどうかという意見がでました。

そこで昭和初年、東京雛人形卸組合が、今後、内裏雛は御真影と同じく、向かって左に男雛、右に女雛と統一することを決めたのが、今日に至っています。

したがって昭和以前の雛飾りは、今と逆の並べ方で飾られているところもあります。

特に関西方面では昔のしきたりそのままを飾っている所が多いようです。

 

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岩槻区誕生10周年記念 2015人形のまち岩槻まつり

人形のまち岩槻まつり ジャンボ雛段人形のまち岩槻まつり 雪洞

昭和51年から始まった岩槻まつりは今年で40回目を迎えます。

最大の見どころとなっているジャンボ雛段は幅10メートル、高さ8メートルあり、昭和63年から始まりました。

小木人形の大きな雪洞が毎年飾られています。

子どもみこし、大人みこし、万燈みこしに加え、人形仮装パレード、ジャンボひな段、よさこいフェスタ、黒奴行列など、多彩なイベントが行われます。

 

  • 15:05〜 太田小学校・岩槻小学校(鼓笛パレード)
  • 15:15〜 岩槻黒奴保存会(黒奴・稚児奴行列)
  • 17:00〜 子供みこし渡御
  • 17:55〜 岩槻黒奴保存会(黒奴行列)
  • 18:15〜 大人みこし渡御
  • 18:30〜 人形仮装パレード

日時   8月23日(日) 15:00~21:00   ※雨天決行

会場   旧岩槻区役所跡地、岩槻駅東口前、市宿通り周辺

アクセス 東武アーバンパークライン(野田線)岩槻駅東口から徒歩すぐ

問合せ:人形のまち岩槻まつり実行委員会/さいたま商工会議所岩槻支所

電 話:048(756)1445

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新年初売り1月4日てす

人形のまち岩槻も雛人形一色

いよいよ2015年度 雛人形も本番となりました。

このお正月にはご家族で初節句の会話をなされたことと存じます。

小木人形も若手店長が中心にお客様お一人おひとりにご満足できます様親身にご相談になりたいと思っております。

今年2015年 雛人形は三段飾りと親王飾りには人気が集まります。

 

当店の自慢の商品は何と言っても焼桐仕様の飾り段と屏風です。

是非!!小木人形の店頭にてどんな商品かご確認いただきたいと思います。焼桐京八番親王六寸官女付セットのおひなさま

焼桐は優れた特性を持つことで知られており、当店の焼桐は総桐ですから側面まで焼きの加工が施されて、軽く反りにくく柔らかな感じです。

表面が綺麗になり、汚れ難くなっていますので、素手でお取り扱いされても安心です。

今年もスタッフ一同お客様ののお役に立てます様努力をいたします。

よろしくお願い申し上げます。

京八番親王六寸官女付焼桐三段飾りセット

衣裳は基本の有職文様です。

サイズ 間口100cm×奥行85cm×100cm

2015 雛人形2015年度 雛人形 無料カタログ申し込み受付中です。

五月人形の新作カタログは只今制作中です。

2月に入っての発送になります。

雛人形・五月人形・破魔弓・羽子板・人形のまち岩槻 小木人形 人形のまち岩槻 小木人形 (岩槻工業団地内)

赤ちゃんのための授乳室完備、ベビーカーもご用意してございます。