広島 厳島神社所蔵 国宝模写 紺糸威鎧 鎧平台飾り
五月人形は国宝模写鎧兜の豊富な 人形のまち岩槻 小木人形へ
- 四分の一模写 人気商品です!
- 世界遺産の厳島神社は平家一門の手厚いほごを受け、この紺糸威鎧は平清盛の長男、平重盛の奉納と伝えられる。
- 重厚感溢れ荘厳な鎧。
広島 厳島神社所蔵 国宝模写紺 糸威大鎧 鎧飾り
サイズ 間口84cm×奥行45cm×高さ90cm
2017五月人形カタログご依頼はこちらからも受け付けております。

赤ちゃん授乳室完備
広島 厳島神社所蔵 国宝模写紺 糸威大鎧 鎧飾り
サイズ 間口84cm×奥行45cm×高さ90cm


江戸時代になると、五節句の一つ『菊の節句』として広まって行きました
重陽の節句の宴には菊花酒を飲み、詩を作り、髪には菊を挿したと伝わります。
髪に草花を挿すことは魔除けの意味があるようです。
菊は特に日本人は好む花で昔から高貴な花として、尊ばれてきました。
菊の花びらを浮かべたお酒、邪気を祓い、長寿を祈る意味がございます。
10月は季節の変わり目、体を内側から温めると良いようです。血行促進、芯まで温まります。

『白露』が草木に露が発生するということでしたが、『寒露』は次にくる『霜降そうこう』の直前の寒さの状態。
台風シーズンも収まってくれることを望みます。
今年も台風で大きな被害にあわれた方々沢山いらっしゃいます。
心よりお見舞いを申し上げます。
朝晩はだいぶ寒さを感じるころになってまいりました。
だんだんと小木人形前の欅も赤、黄と色を変えてまいります。
七十二候では、『寒露』をさらに3つに
重陽の節句を楽しんで深まりゆく秋をじっくり楽しんでみてはいかがでしょうか。

重陽の節句2016 人形のまち岩槻 後の雛と食文化めぐり開催中!!
平成28年9月22日~10月10日
主催:重陽の節句実行委員会
江戸時代には「後のひな祭り」という風習が生まれました。
これは九月九日の重陽の節句にひな人形を飾り、大人の女性が幸せと長寿の願いをこめるというもの。
虫干しを兼ねて節句人形を再び飾ることで、傷むのを防いで長持ちさせようという知恵もふくまれています。
——- 全日本人形専門店チェーン小雑誌より ——-
後の雛のちのひな
「和国の女児、雛遊びをなすこと、古き物語にも出でたり。
上巳の節に拠あるよし、三月の部に注す。
今また九月九日に賞する女児多し。
源氏物語には、尋常にも雛遊びありと見えたれべ場、重陽に翫ばんには、なほさもあるべきか。
俳諧、これを名づけて”後の雛祭”とす。
上巳に対していへるなり」 ———- 滑稽雑談 (正徳三) より
日本の女の子は雛を飾って楽しんで遊ぶことを古い物語にでています。
上巳の節句をとても楽しみ、今九月九日にも雛を慈しみ楽しむ女の子が多いです。
源氏物語にはいつも雛を飾って楽しむと言われ、重陽の節句もまた同じようになさっていたようで。
これを名づけて後の雛まつり」とします。

中国では、この日は香気の強いグミの実などを身につけて高い丘などに登り、菊酒を酌み交わし、
お互いの長寿と無病息災を願う風習がありました。
この風習が奈良時代に日本に伝わり、『菊花の宴うたげ』として宮中で行われたのが始まりとされています。
平安時代になると重陽の節句は正式な宮中行事として定着しました。
臣下に菊酒と氷魚ひおを振る舞い、儀式が終わるとたいそうなお土産が配られたといわれています。
—– 引用資料 和ごよみと四季の暮らし 新谷尚紀監修 —–
菊の露は長寿の薬効とされ、陰暦九月八日に菊の花に綿を被せて置き、翌九日、夜露を染み込ませた綿で体を撫でると、老いを拭い去るというものです。
重陽の節句(九月九日)の行事で、前夜菊の花に花色に染めた真綿をおおって、その露や香を移しとり翌朝その綿て顔や身体を払うと不老長寿が保たれるというもので、平安時代に盛んに行われていました。
ことにこの時代の女性には菊の持つ不老・若返りの効をも信じられていた様で、紫式部が道長夫人
の源倫子より菊の被綿を贈られて大感激して詠んだ歌が有名です。
菊の露わかゆばかりに袖ふれて
花のあるじに千代はゆづらむ
被せる綿は色付で、赤い菊には白い綿、白い菊には黄色、黄色い菊には赤色の綿を被せたとされています。
栗ごはん・菊の天ぷら・菊のおひたし・菊のお花の彩のサラダ
菊の意味を盛り込んだ和菓子など
三月三日のひな祭りに対して 、旧暦九月九日(新暦でいえば10月中旬頃)の重陽の節句、または八月朔日(八月一日 )に飾るおひなさま。
幕末頃には大阪の一部や徳島・伊勢地方でおひなさまを飾る風習があった。
八朔に飾る風習も、西日本の広い地域で行われた。
重陽に飾る雛を菊雛という。
菊の花をお飾りして、もう一度ひな祭りを楽しみましょう。

今まさに『菊薫る季節となりました。』のあいさつで始まる頃です。
二十四節気を3つに分類された七十二候では、「寒露」をさらに3つに分けています。
その一つ菊花開(きくかひらく・菊の花が開く) 10/14~10/18頃
菊はご承知の通り皇室の御紋章となっております。
菊は香りが高く、奈良時代に薬用として中国から伝わりました。
中国では菊は仙花として、薬効をもつ花とされていました。
旧暦の九月九日は、新暦では十月半ばとなります。まさに菊の盛りの頃となります。
菊の水は不老長寿の水と言われ、『菊と水』を瑞祥の文様としています。
まさに流水に菊の花が慕っている文様は、延命長寿のおめでたい文様です。

大宮八幡宮 重陽の節句 菊の被綿
九月十二日の土曜午後、新宿駅からバスで大宮町下車『大宮八幡宮』に行く。
幸せ子育て、安産、縁結び、厄除け開運の八幡様に参拝後、菊の被綿の飾られている清涼殿のロビーへと進む。
お宮詣りのご家族の姿がありました。 おめでとうございます。
菊の被綿
重陽の節句(九月九日)の行事で、前夜菊の花に花色に染めた真綿をおおって、その露や香を移しとり翌朝その綿て顔や身体を払うと不老長寿が保たれるというもので、平安時代に盛んに行われていました。
ことにこの時代の女性には菊の持つ不老・若返りの効をも信じられていた様で、紫
式部が道長夫人の源倫子より菊の被綿を贈られて大感激して詠んだ歌が有名です。
菊の露わかゆばかりに袖ふれて
花のあるじに千代はゆづらむ
因みに平安時代の宮中儀礼で観菊の宴(重陽の宴)が催され、杯に菊花を酌み交わし長寿を祝い詩歌を作ったと云われ、江戸時代武家でもこの菊の花を避けにひたして飲み祝った云われています。
今年は大祭が終了する二十三日まで飾らせて頂きます。
大宮八幡宮
—– 大宮八幡宮資料紙によります。 —–
帰りはコースを変え、京王・井の頭線 永福町駅から新宿駅西口行のバスを利用しました。
大宮八幡宮 社報103号より
旧暦で言う九月九日は、新暦では十月半ば頃に当たり、菊の花盛りの頃です。
菊は秋の代表の花となっています。
春は蘭、夏は竹、秋は菊、冬は梅は四君子に挙げられます。
菊の露は長寿の薬効とされ、陰暦九月八日に菊の花に綿を被せて置き、翌九日、夜露を染み込ませた綿で体を撫でると、老いを拭い去るというものです。
江戸時代には「後のひな祭り」という風習が生まれました。
これは九月九日の重陽の節句にひな人形を飾り、大人の女性が幸せと長寿の願いをこめるというもの。
虫干しを兼ねて節句人形を再び飾ることで、傷むのを防いで長持ちさせようという知恵もふくまれています。
——- 全日本人形専門店チェーン小雑誌より ——-
後の雛
「和国の女児、雛遊びをなすこと、古き物語にも出でたり。
上巳の節に拠あるよし、三月の部に注す。
今また九月九日に賞する女児多し。
源氏物語には、尋常にも雛遊びありと見えたれべ場、重陽に翫ばんには、なほさもあるべきか。
俳諧、これを名づけて”後の雛祭”とす。
上巳に対していへるなり」 ———- 滑稽雑談 (正徳三) より
日本の女の子は雛を飾って楽しんで遊ぶことを古い物語にでています。
上巳の節句をとても楽しみ、今九月九日にも雛を慈しみ楽しむ女の子が多いです。
源氏物語にはいつも雛を飾って楽しむと言われ、重陽の節句もまた同じようになさっていたようで。
これを名づけて後の雛まつり」とします。
後の雛祭りも上巳のひな祭りも同じ行事です。