八月も今日で終わります。
明日は九月一日で立春から数えて210日目に当たります。
この頃は風雨の激しい日とされ、台風が日本にやってくるころとされています。
ところで、当店の駐車場の一角に雀のために小鳥のエサを蒔いておくのですが、ここのところ、さっぱり雀たちは姿を見せません。
稲が熟した穂を垂れる様子からみて、雀たちは稲の穂をついばんでいるのだろうか。
お米に感謝をして美味しくいただきま~す。
(岩槻工業団地内)
赤ちゃん授乳室完備
八月も今日で終わります。
明日は九月一日で立春から数えて210日目に当たります。
この頃は風雨の激しい日とされ、台風が日本にやってくるころとされています。
ところで、当店の駐車場の一角に雀のために小鳥のエサを蒔いておくのですが、ここのところ、さっぱり雀たちは姿を見せません。
稲が熟した穂を垂れる様子からみて、雀たちは稲の穂をついばんでいるのだろうか。
お米に感謝をして美味しくいただきま~す。
宝鏡寺
〒602-0072 京都市上京区寺之内通堀川東入ル百々町547
江戸の中期まて、雛人形の工作舎は殆ど京都で占められていたことは前にも書きましたが京都の江戸移入が禁止されてからは、江戸は江戸、京都は京都で作られているようです。
次郎左衛門雛より少し遅れて、京都には山科雛、高倉雛が貴族階級に限られ飾られていました。
京都今出川堀川に宝鏡寺という尼寺があります。
この地では俗に人形寺と呼ばれしられています。
この寺は厄650年前の光厳天皇(1331年)の皇女華林恵厳禅尼開山により臨済宗の門跡寺院てあり、中世京洛に栄えた尼五山の一つであった景愛寺の法灯を今に伝える位(くらい)高いお寺です。
歴代皇女方が出家入山されたところから「百々(どど)御所」とも呼ばれています。
皇女方が入寺されているため、おひな祭りのたびに御所から人形が贈られて、いつの頃からか人形寺として名高くなり、由緒ある人形が数多く保存されています。
皇女和の宮さまもたびたびこのお寺へお成りになり、桂御殿のご普請中はこの寝殿にお住いになられました。
和の宮さまおかくれの後、宝鏡寺へ御遺品としてご愛用品や絵巻物など下賜され今も保存されているのは、こんなゆかりからでしょう。
この寺では年二回春と秋に新古人形の名品の展示の一般公開がございます。
春の展示には雛人形を中心に飾られます。
散歩道で今年も烏瓜のお花を見かけました。
日中は花弁は開いていませんが夕方になりますと開いてしとやかな容
姿を観察できます。
田んぼも稲刈りが始まります。
ようやく暑さが和らいでくるようです。
岩槻の人形店もお盆が済みますと、雛人形の準備にいよいよ入ります。
今年も11月初旬にかけて、雛人形の準備を進めてまいりますので、今しばらくお待ちくださいますようご案内申し上げます。
雛売
『乗物ほかい、雛の道具』と呼び歩く雛売
雛市にはそれが開かれている特定の場所まで会に行かなければならないのが、雛売りは移動販売の便利さと、比較的生活水準の低い人たちが利用したといわれます。
しかし明和(1764年)安永(1772年)に見られた雛売りも寛政(1789年)の頃には姿を見なかったといいますから、雛市におされてしまったものと思われます。
二月中旬から『乗物ほかい、雛の道具』と呼んで、葛籠を両掛にして、売りに来たものです。
人形は、おやま人形で、たけが4.5寸(約12cm)から、8.9寸(約24cm)までといいますからそれほどおおきなものでなく、内裏雛、小人形、雛の道具などが見られます。
五人囃子は天明(1781年)頃になって登場します。
雛人形の頭作り
京都で生まれた雛遊はあくまでも貴族生活の縮図でした。
京都の雛遊を江戸へもたらした一人に春日の局(かすがのつぼね)の名が見られます。
こうした雛遊が、そのまま民間に浸透していったという見方と、他方では民間で芽生えた信仰が地方色豊かに存在していて、そういう幸の神を祀るかたちは、必ず男女対の像があって、婚姻、安産、育児の祈願の対象となっているのが、ひな祭りに転化されたという見方があり、それぞれの根拠がありますが、ここでは割愛して、お話を進めます。
京都の雛遊が民間で芽をふいているのは江戸よりはやいのではないかといわれるのは、雛人形の工作舎が宝暦(1751年)まで江戸に少なく、京都が独占していることからです。
京都から江戸へ雛遊が移入され、民間でも三月三日に定期的に行うようになったのは、大体寛永の末期頃(1640年)といわれております。
そして雛遊からひな祭りという呼び方に変わったのは享保(1716年)以前と言われていますから、江戸に移入してからもかなりの間雛遊と呼ばれていたわけです。
江戸風俗の中で、特に取り上げたいのが雛売りと雛市です。
ジャンボ雛段
おひなさま十五人がそのままのお姿です。
小雨の降る中に岩槻まつりが開催されました。
岩槻まつり恒例の黒奴行列・人形仮装パレード、ジャンボ雛段はもちろん大勢の見物
で賑わいました。
お子様の仮装はとっても可愛いです。
「夏の大三角」
伝統的七夕の星空
天の川を挟んで織姫星と彦星、そして上弦に近い月が輝きます。
「わし座」の一等星アルタイルは「彦星」
「こと座」の一等星ベガは「織姫星」
天の川の真ん中で明るく光っている星が、「はくちょう座」の一等星デネブです。
七夕は『乞巧奠(きっこうでん)』巧みを乞う奠(たくみをこうまつり)で織物や針仕事を上手になりたいと願う中国の星まつりの行事が日本に伝わり宮中の行事となって彦星・織姫星にお供え物をして、技芸の上達を祈りました。
2015年は8月20日を中心に「明かりをけして 星をみよう」をスローガンに掲げてキャンペーンを展開します。
関東の方は何か、昔の内裏雛は向かって右が男雛、左が女雛なのに、今は雛飾りは反対に飾られていると思いませんか。
日本には昔から左尊右卑の思想がありました。
左大臣は右大臣より上位にあり、将軍、大名の御座所で、殿様は左に奥方は右にならぶのは、テレビなどで良く見かけると思います。
内裏雛の並べ方もそのため上記のようでしたが、昭和初年になって御真影(天皇さま・皇后さまのお写真)が向
かって左に天皇さま、右に皇后さまをかかげたので、同じようにしてはどうかという意見がでました。
そこで昭和初年、東京雛人形卸組合が、今後、内裏雛は御真影と同じく、向かって左に男雛、右に女雛と統一することを決めたのが、今日に至っています。
したがって昭和以前の雛飾りは、今と逆の並べ方で飾られているところもあります。
特に関西方面では昔のしきたりそのままを飾っている所が多いようです。
雛人形の衣装 亀甲繋ぎ文様(姫の表着)
日本の文様は基本の一つの単位の文様を変形したり、組み合わせたりして多くの文様を生み出した。
亀甲・七宝を一つの単位として繋ぎ合わせ平面に充填する文様。
また、上下に連ねて縞模様を構成する。
日 程 : 2015年8月20日(木)とその前後 (国立天文台の計算による)
「伝統的七夕」は、かつて七夕行事が行われていた本来の七夕にあたる日です。
国立天文台は、太陰太陽暦(いわゆる“旧暦”)の7月7日にちなんだかつての七夕を「伝統的七夕」と呼び、2001年から広くお知らせしています。
その日付は、二十四節気の処暑を含む日かそれよりも前で、処暑に最も近い朔(新月)の日から数えて7日目、としています。
現在使われている暦は太陽暦ですので、伝統的七夕の日付は毎年変わります。