雛祭り・雛人形の由来と歴史 No1

天児(あまがつ)

「天児」はT字形に組み白絹製の頭の部分をつけ、祓いに用いられる人形の一種。平安時代からある。

これに赤ちゃんの産着などの衣装を着せて゛けがれ゛のお祓いの形代(カタシロ)としました。

みそぎ、はらいの神事を源としたひな祭り

大きな河川も、その源を訪ねると、いくつもの小さな流れがあって、そのいくつもの流れが合流して、次第に形をなして遂には一つの大きな流れとなります。

歴史の流れも同じで、ひな祭りの源も、いろいろの神事、行事、信仰があって合流したものです。

ひとつに『巳の日の祓』がありました。

巳の日祓とは三月の巳の日に行なう祓いのことで、撫物(なでもの)でからだを浄めて、河原に出て祓いを行うことをいいます。

撫物(源氏物語、須磨の巻に登場)は、紙を切って作ったもので人のかたちをした、人形(ひとがた)、形代(かたしろ)とよばれるものです。

のちに撫物の変形としてつくられたものに、天児(あまかつ)、婢子(ほうこ)があります。

両方とも小児誕生の時につくられるもので、幼児を襲う穢れ(けがれ)や、災いを負わせるための形代で、男女の別なく、天児は主として宮中で、婢子は民間で使われていたようです。

これが後の立雛によく似ているところは、見落としできません。

こうして人形に穢れや災いを負わせ風習が、現在も行われています。

鳥取県の流しびなが有名ですが、人形のまち岩槻でも毎年行われています。人形のまち岩槻 流しびな

上巳の祓を三月のはじめの巳の日と決めて不祥をはらうことは、前にも述べましたが、これを三月三日という一定の期日に決めた最初は不明ですが、持統天皇の五年(691年)には上巳を三月三日としている文献があります。

つまり上巳の節句の始まりです。

 

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おひなさまの飾り方 内裏雛の並べ方

関東の方は何か、昔の内裏雛は向かって右が男雛、左が女雛なのに、今は雛飾りは反対に飾られていると思いませんか。

日本には昔から左尊右卑の思想がありました。

左大臣は右大臣より上位にあり、将軍、大名の御座所で、殿様は左に奥方は右にならぶのは、テレビなどで良く見かけると思います。

内裏雛の並べ方もそのため上記のようでしたが、昭和初年になって御真影(天皇さま・皇后さまのお写真)が向人形のまち岩槻 小木人形 雛人形かって左に天皇さま、右に皇后さまをかかげたので、同じようにしてはどうかという意見がでました。

そこで昭和初年、東京雛人形卸組合が、今後、内裏雛は御真影と同じく、向かって左に男雛、右に女雛と統一することを決めたのが、今日に至っています。

したがって昭和以前の雛飾りは、今と逆の並べ方で飾られているところもあります。

特に関西方面では昔のしきたりそのままを飾っている所が多いようです。

 

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雛人形の文様 繋ぎ文様

雛人形の衣装 亀甲繋ぎ文様(姫の表着)

日本の文様は基本の一つの単位の文様を変形したり、組み合わせたりして多くの文様を生み出した。

その一つに『繋ぎ(つなぎ)文様』をご紹介いたします。人形のまち岩槻 小木人形 雛人形

亀甲・七宝を一つの単位として繋ぎ合わせ平面に充填する文様。

また、上下に連ねて縞模様を構成する。

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雛人形の文様 有職文様 立涌

藤立涌文様

立涌文は縦に走る波状の線が向かい合う文様で有職文様の一つ

水蒸気がゆらゆらとたち涌いて登る様子を文様にしたもの。

平安時代以降は、波形の曲線が膨らんだところに、雲・波・藤を入れた雲立涌波立人形のまち岩槻 小木人形 雛人形 藤立涌は有職文様として使われる。

 

男子の鮑指貫、女子の五衣の織文様に用いられる。

華やかな振袖にも立涌文を入れて豪華さを出しているようです。

 

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雛人形の文様 有職文様 七宝文NO2

七宝文から派出した文様の中で良く見かける文様があります。

  • 小葵(こあおい)雛人形 親王飾り 小葵文

円と円の重なる輪郭の部分は唐草のような葉を置き、星と呼ぶ円の接点に小花があり、円の中央には花文がはいされている。

  • 鳥襷(とりだすき)

七宝の形になるように花菱と尾長鳥で構成されている。

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雛人形の文様 有職文様 七宝文

七宝の円形は円満を表し、吉祥文様宝尽くしの一つ

七宝は同じ大きさの円の円周を四分の一ずつ重ねて繋いでゆく文様。雛人形 有職文様 七宝文様

重ね方は円周の四分の一を隣の円と交叉させるようにし、宴を上下左右に繋ぐ並べ方にする連続文様。

『亀甲つなぎ』と同様、面として広がる状態をさす。

仏教でいう七宝は金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・珊瑚・瑪瑙(めのう)・蝦蛄(しゃこ)の七つの宝物。

 

 

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雛人形の文様 有職文様 亀甲文

正六角形(一角がすべて120度の均一となっている)の幾何学文様はもともと西アジアかに起こり中国や朝鮮から日本に伝わった。

日本では亀の甲羅に似ているのでこの名がつけられ吉祥文様となった。雛人形 有職文様 亀甲文

平安時代から有職文様として使われる。

六角形をつないでゆくつなぎ文様が基本的なパターン。

亀甲文の中に、花弁が入れてあるものを、日本では『亀甲花菱』とよんでいる。

 

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雛人形の文様 有職文様 向松い喰鶴

松喰い鶴(まつくいつる) 松の枝をくわえた鶴

とりわけおめでたい文様は鳳凰に鶴。雛人形 人形のまち 岩槻 小木人形

シルクロード伝来の花喰い鳥文が平安時代に変化し、おめでたい松と鶴のくみあわさったもの。

現在の皇后さまの御唐衣。

鶴は千年亀は万年と言われるよう長寿を表す文様です。

 

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雛人形の文様 有職文様 向かい蝶丸

飛鳥・奈良時代は仏教の伝来により、大陸からもたらされた仏教美術工芸の品々を愛好し、仏教関係品に施された装飾文様を次々とうけいれる。

平安時代になると日本的なものへと関心が高まり、松・梅・など身近なものへと変わって行く。

向かい蝶丸の文様は長寿を表す吉祥文様

羽根を広げた2匹の蝶で構成された丸文。

多くは浮線文様として女房装束の唐衣などに用いられた。

 

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雛人形の文様 有職文様 桐竹鳳凰麒麟

天皇の御袍の文様は桐竹鳳凰麒麟

平安時代より宮廷や貴族を中心に調度品や衣服類に、伝統的に用いられた文様の中の、特に衣服などに使われることの多いものを、有職文様とよびます。

天皇の御袍の文様は桐竹鳳凰ですが、後世この上に麒麟(きりん)という空想上の動物の文様が加わります。雛人形 桐竹鳳凰麒麟

天皇の御袍は『黄櫨染(こうろうぜん)』の色で、これは重い御式のときの御召しもの。

軽い御式のときは『麹塵(きくじん)』と呼ぶ玉虫色に見える色で同じ文様の御袍を御召しになります。

—— 参考資料 文様の四季     木村孝 著 —–

 

鳳凰は桐林に棲み竹の実を食べるという中国の故事に由来、天皇専用に用いられる有職文様。

 

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