11月1日から2017年度雛人形予約会開催中です。
ひな人形カタログの初校となり、11月4日からカタログ用写真撮影に入ります。
お子さまのただ一つの雛人形をお求めの際にご家族でご笑覧いただければと存じます。
カタログのご依頼はただ今受付致しております。
なお、発送は12月中旬になります。
2017雛人形カタログご依頼はこちらからも受け付けております。
お子さまの初正月飾りの破魔弓・羽子板、2017年度雛人形予約会を開催中!!



赤ちゃん授乳室完備
ひな人形カタログの初校となり、11月4日からカタログ用写真撮影に入ります。
お子さまのただ一つの雛人形をお求めの際にご家族でご笑覧いただければと存じます。
カタログのご依頼はただ今受付致しております。
なお、発送は12月中旬になります。
2017雛人形カタログご依頼はこちらからも受け付けております。
破魔弓・羽子板、雛人形は人形のまち岩槻 小木人形へ
大変ご迷惑をおかけいたしましたが、21日には小木人形店舗前駐車所整備は完了いたしました。
今年も汕頭刺繍の羽子板がご用意できましたので、是非店頭にて御高覧賜りますようご案内申し上げます。
帯地汕頭刺繍の見事な羽子板はきっとご満足いただける物です。
気品の高さと優雅さが初正月の羽子板飾りにはぴったりです。
汕頭刺繍とは、中国清の時代にイタリア、ベルギーからトライした宣教師たちがヨーロッパの刺繍技術を伝え、中国の古来刺繍技術にとりいれられ、今の汕頭刺繍に発展してきたと言われています。
羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
期間中は無休で営業いたします。
今日の冷え込みは冬の気配を感じるようです。
2016ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム開催の準備のため小木人形の店頭の雪洞が会場へ搬入します。
「はま」は弓を射る的のことで、男児の初正月を祝う縁起物となりました。
魔をはらう弓矢には、お子さまの成長の無事を祈る思いが込められています。
羽子板でつく羽の玉には、『子が患わない」という意味の無患子むくろじの種が使われています。
邪気をはね除け、お子さまの健やかな成長を願う、新年にふさわしい贈り物です。
羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
期間中は無休で営業いたします。
羽子板の由来
お正月の羽根突きは、江戸時代の昔から女の子の遊びです。
そしてこの羽子板は、女の赤ちゃんの無病息災のお守りの意味を持っているのです。
羽子板で付く羽根の玉、あの黒くて硬い玉は゛むくろじ゛という大木の種ですが、これは漢字で『無患子』と書きます。
すなわち『こどもが患わない』という意味を含んでいるとも考えられるでしょう。
また、昔は羽根の形をトンボに見立てて、トンボが蚊を食べる益虫であることから、お正月に羽根を突くと、夏になっても蚊に食われることがないことから、長い間信じられてきました。
こうして羽子板には、遠い昔から子供の無事を願うあたたかい親心が込められているのです。
資料 社) 日本人形協会 節句に関する統一見解
初正月をお迎えのお孫様には破魔弓、羽子板は遅くても12月半ばまでには贈りましょう♪♪
羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
期間中は無休で営業いたします。
破魔弓の購入時期
一般的には母方の実家から贈られていたものですが、今では、両家で折半するなど様々です。
すでに店頭に整い飾られていますので、12月初旬には飾りつけができるように購入するとよいでしょう。
破魔弓のきまりごと
- 飾り方
旧年の風に当てることから、12月の大安などの良い日に飾ります。様々な形状をしたケースが用意されています。
飾り場所は、かつての主流は床の間でしたが、現在の住宅事情では、床の間がない場合も多いと思われます。
その場合は、魔除けの意味からお子様の寝室や皆様に見て頂ける場所がよいでしょう。
- しまい方
小正月(1月15日)過ぎにしまうのが一般的ですが、縁起物ですので、一年中飾っていても構いません。
収納する場合は、晴れた乾燥した日を選びましょう。
しまう際は、防虫剤は少なめにして乾燥した場所を選びましょう。
羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
期間中は無休で営業いたします。
全国に知られる「人形供養」は秋。毎年11月3日に、人形塚の前で古い人形の冥福を祈り、いつくしんだ人形を供養します。
岩槻人形供養祭
毎年11月3日(祝)に岩槻城址公園内の人形塚前において、全国の人形愛好家の方々の、捨てるにしのびないという優しい気持ちに応えようと毎年開催。
当日は古くなって飾らなくなったり、壊れたり、使わなくなった人形をお持ちいただき、人形塚脇の黒門の周りに並べます。
約20名の僧侶(岩槻仏教会)の読経のもとに参加者が焼香し、人形の持ち主は受付の際に渡される供養札を、天児(あまがつ・日本の人形の原形といわれ、子どもの健康と幸せを守るもの)に見守られながら、お焚き上げして冥福を祈ります。
日時 11月3日(祝) ※雨天決行
午前10時~午後2時(式典は午前11時~正午)
場所 岩槻城址公園内 人形塚及び黒門周辺
資料抜粋 岩槻人形協同組合 HP
「立雛」は主として紙で作られたもので、一名「紙雛」とも呼ばれます。立雛の方が歴史は古く、形から推察しても天児あまかつ・婢女ほうこからきた男女一対の雛人形のように見えます。
きわめてシンプルな形で、厚紙で胴体をなし、そこへと桐塑頭・木で作られた頭を差し込み、面相を整え髪つけをしたものです。
座雛は寛永(1624年)以後に作られたもので、抽象的な立雛に比べて、写実的な彩りにつつまれています。
面白いのは、上巳の節句、雛遊と雛の対象が貴族、武家にとどまっていた頃は立雛で、それが武家から庶民の手に移って、庶民の創造から生まれたものが座雛であるということです。
しかし、座雛がつくられてすぐに立雛が無くなった訳でなく享保(1716年)頃までは立雛と座雛が対等に飾られています。
こうして色々と形が整えられて古今雛(1764年~1772年)に至って男雛・女雛の一対雛人形が様々な人形や調度品・道具が加わり豪華なものになってまいりました。
ところで、上方と江戸では雛人形の飾り方が異なり、上方は御殿飾りの二段飾り(御殿内に雛一対を置き、その他に官女・左大臣・右大臣・桜橘を置きほか座敷に天児・這子・犬張子・市松人形・御所人形・お公家様の調度品を置く)、江戸では、五段飾り・七段飾り・九段飾りと最上段に内裏雛を置くという飾り方でした。
明治以降になって、雛人形も全国的に同じ傾向になりました。
詳細は ↓↓
羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
期間中は無休で営業いたします。
京都でうまれた雛遊はあくまでも貴族生活の一部で、京都の雛遊をもたらした一人に春日局かすがのつぼねがあげられます。
京都から江戸へ雛遊が移入され、民間でも3月3日に定期的に行うようになったのは、大体寛永の末期ごろ(1640年)と言われております。
そして雛遊という呼び方から雛祭という呼び方に変わったのは享保(1716年)以前と言われていますから、江戸に移入してからもかなりの間雛遊と呼ばれていた訳です。
雛市は開催される特定の場所まで買いに行かなければならないが、雛売りは移動販売の便利さがあり、2月中旬から「乗り物ほかい雛の道具」と呼んで、葛籠を両掛にして、売りに来たものです。
雛売りも寛政(1789年)の頃には姿を見るもなかったとされますので、雛市におされたとものと思います。
人形はおやま人形で、たけが4・5寸(約12cm)から、8・9寸(約24cm)までといいますからさほど大きくもなく、内裏雛、小人形、雛の道具などが見られます。五人囃子は天明(1781年)頃になって登場します。
雛市は享保(1716年)に開市されたものらしいといわれ、十間店(じっけんだな)は後に十軒店となった。
つまり、十間を限って出店が許され、場所は今の日本橋室町二丁目、三丁目にあり、雛人形の集散地でした。
安永(1772年)頃には雛市は十軒店の他に尾張町(現在の中央区銀座一丁目)にも設置されています。
寛永(1789年)頃からは、浅草茅町、池の端仲町、麹町、駒込などにも雛市が開かれています。
詳細は ↓↓
羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
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紫式部や清少納言が活躍した平安中期ごろは、宮中や公家の家々では「ひいな」の遊びが盛んでした。
上巳の祓いじょうしのはらいとは別に雛遊という人形をもって遊ぶ児戯があります。
これを「ひいなあそび」と呼んでいます。
これについて本居宣長は、ちいさく造ってあるので鳥のひなにたとえて雛というと、言っておりますが、もともと京都が発祥地で「ひいな」は京都のなまりとする方が自然のようです。
雛遊びが初めて史書に登場されたのは貴族の大人を対象とした遊びにあり、これが子供たちの世界にひろまったのは、かなり早いようです。
この雛遊が雛祭に発展していったとみる根拠は、ひいなあそびのひいなが進化したものと見られることにあります。
また、
三月三日(必ず巳の日には限らない)の上巳の祓いと、雛遊が結びついて、後の雛祭となります。
室町時代になって、豪華な男女一対の人形を贈答する風習が起こり、三月三日の夜は枕元に置き、翌日には寺、神社でお祓いをお願いし、雛収めを済ませ、また翌年には三月に取り出すと言う習慣が定着しました。
詳細は ↓↓
羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
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雛人形のルーツは中国渡来の「上巳(じょうし)」の節句です。
中国では昔3月3日に水辺にて身を清め、穢れ(けがれ)を祓う習慣がやがて日本にも伝わつたもので、桃花節(とうかのせつ)とも言われました。
この‘巳の日祓い’をいつからか三月三日として行うようになりました。
持統天皇の五年(691年)には上巳を三月三日としている文献があります。
こうして三月三日にお雛祭りをするのは、お祓いの行事との関わりの有る事を知ることが出来ます。
3月の最初の巳の日(上巳の日)にお祓いが行われ、人形を舟に乗せて海の沖合いに流すおお話があります。
——平安貴族たちは、三月の巳の日に、疫病など流行やすいと言うことで、占い師により無病息災を祈願する行事、人形(ひとかた)・紙・土・草・藁などで簡単な人形(にんぎょう)をつくり、お酒やお供物を添えて、病気や災いを身代わりに背負ってくれますようにと、願いをこめて川や海に流しました。
また一方、そうして貴族たちの風習はこのように農耕時期を前にして農民にも広がって行きました。
そのうちに都の貴族の大人たちの遊びの雛遊が早いうちに貴族の子供たちへと広まりはじめました。
しだいに雛人形は豪華さを増し、部屋に飾っておくものになり、やがて、武士をはじめ一般庶民にも広まり今に伝わる思い、女の人のいろいろな穢れ・災いの身代わりになる大切の物として人の世のしあわせを願っての3月3日の雛祭りの行事となってゆきました。
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羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
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