季節の移ろい 『寒露』 10月8日

二十四節気の一つ『寒露』で、霜にになりそうな冷たい露が草木に宿るという意味だそうで。

『白露』が草木に露が発生するということでしたが、『寒露』は次にくる『霜降そうこう』の直前の寒さの状態。

台風シーズンも収まってくれることを望みます。

今年も台風で大きな被害にあわれた方々沢山いらっしゃいます。

心よりお見舞いを申し上げます。

朝晩はだいぶ寒さを感じるころになってまいりました。

だんだんと小木人形前の欅も赤、黄と色を変えてまいります。

七十二候では、『寒露』をさらに3つに

  • 鴻雁来こうがんきたる 雁が飛来する  10/8~10/13頃
  • 菊花開きくかひら菊の花が開く     10/14~10/18頃

重陽の節句を楽しんで深まりゆく秋をじっくり楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

  • 蟋蟀戸在きりぎりすとにあ キリギリスが戸にあって鳴く   10/19~10/23頃

 

破魔弓・羽子板、雛人形は2016年11月1日オープン予定です。

 

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重陽の節句2016 – 人形のまち岩槻

重陽の節句2016  人形のまち岩槻 後の雛と食文化めぐり開催中!!

平成28年9月22日~10月10日

主催:重陽の節句実行委員会

 

健康と長寿を願う「重陽の節句」

江戸時代には「後のひな祭り」という風習が生まれました。

これは九月九日の重陽の節句にひな人形を飾り、大人の女性が幸せと長寿の願いをこめるというもの。

虫干しを兼ねて節句人形を再び飾ることで、傷むのを防いで長持ちさせようという知恵もふくまれています。

——-      全日本人形専門店チェーン小雑誌より    ——-

後の雛のちのひな

「和国の女児、雛遊びをなすこと、古き物語にも出でたり。

上巳の節に拠あるよし、三月の部に注す。

今また九月九日に賞する女児多し。

源氏物語には、尋常にも雛遊びありと見えたれべ場、重陽に翫ばんには、なほさもあるべきか。

俳諧、これを名づけて”後の雛祭”とす。

上巳に対していへるなり」    ———-  滑稽雑談 (正徳三) より

日本の女の子は雛を飾って楽しんで遊ぶことを古い物語にでています。

上巳の節句をとても楽しみ、今九月九日にも雛を慈しみ楽しむ女の子が多いです。

源氏物語にはいつも雛を飾って楽しむと言われ、重陽の節句もまた同じようになさっていたようで。

これを名づけて後の雛まつり」とします。

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重陽の節句を楽しみましょう ♪♪

九月九日 重陽の節句は菊を食して長寿を願います。

    中国では、この日は香気の強いグミの実などを身につけて高い丘などに登り、菊酒を酌み交わし、人形のまち岩槻 重陽の節句 菊の節句お互いの長寿と無病息災を願う風習がありました。

この風習が奈良時代に日本に伝わり、『菊花の宴うたげ』として宮中で行われたのが始まりとされています。

平安時代になると重陽の節句は正式な宮中行事として定着しました。

臣下に菊酒と氷魚ひおを振る舞い、儀式が終わるとたいそうなお土産が配られたといわれています。

 

—–   引用資料  和ごよみと四季の暮らし  新谷尚紀監修    —–

菊の被綿きくのきせわた

菊の露は長寿の薬効とされ、陰暦九月八日に菊の花に綿を被せて置き、翌九日、夜露を染み込ませた綿で体を撫でると、老いを拭い去るというものです。

 

重陽の節句(九月九日)の行事で、前夜菊の花に花色に染めた真綿をおおって、その露や香を移しとり翌朝その綿て顔や身体を払うと不老長寿が保たれるというもので、平安時代に盛んに行われていました。

ことにこの時代の女性には菊の持つ不老・若返りの効をも信じられていた様で、紫式部が道長夫人人形のまち岩槻 重陽の節句   菊の被綿の源倫子より菊の被綿を贈られて大感激して詠んだ歌が有名です。

 

菊の露わかゆばかりに袖ふれて

花のあるじに千代はゆづらむ

被せる綿は色付で、赤い菊には白い綿、白い菊には黄色、黄色い菊には赤色の綿を被せたとされています。

 

重陽節句の御馳走

栗ごはん・菊の天ぷら・菊のおひたし・菊のお花の彩のサラダ

菊の意味を盛り込んだ和菓子など

後の雛

三月三日のひな祭りに対して 、旧暦九月九日(新暦でいえば10月中旬頃)の重陽の節句、または八月朔日(八月一日 )に飾るおひなさま。

幕末頃には大阪の一部や徳島・伊勢地方でおひなさまを飾る風習があった。

八朔に飾る風習も、西日本の広い地域で行われた。

重陽に飾る雛を菊雛という。

菊の花をお飾りして、もう一度ひな祭りを楽しみましょう。

 

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日本の文様 菊文

今まさに『菊薫る季節となりました。』のあいさつで始まる頃です。

二十四節気を3つに分類された七十二候では、「寒露」をさらに3つに分けています。

その一つ菊花開(きくかひらく・菊の花が開く) 10/14~10/18頃

菊はご承知の通り皇室の御紋章となっております。

菊は香りが高く、奈良時代に薬用として中国から伝わりました。

中国では菊は仙花として、薬効をもつ花とされていました。

旧暦の九月九日は、新暦では十月半ばとなります。まさに菊の盛りの頃となります。

菊の水は不老長寿の水と言われ、『菊と水』を瑞祥の文様としています。

まさに流水に菊の花が慕っている文様は、延命長寿のおめでたい文様です。

 

 

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菊の被綿(きせわた) 大宮八幡宮

大宮八幡宮 重陽の節句 菊の被綿

杉並区大宮2-3-1人形のまち岩槻岩槻 小木人形 ひな祭りと雛人形の由来と歴史 大宮八幡宮

九月十二日の土曜午後、新宿駅からバスで大宮町下車『大宮八幡宮』に行く。

幸せ子育て、安産、縁結び、厄除け開運の八幡様に参拝後、菊の被綿の飾られている清涼殿のロビーへと進む。

お宮詣りのご家族の姿がありました。 おめでとうございます。

菊の被綿はとても綺麗にが飾られていました。IMG00666

菊の被綿

重陽の節句(九月九日)の行事で、前夜菊の花に花色に染めた真綿をおおって、その露や香を移しとり翌朝その綿て顔や身体を払うと不老長寿が保たれるというもので、平安時代に盛んに行われていました。

ことにこの時代の女性には菊の持つ不老・若返りの効をも信じられていた様で、紫人形のまち岩槻岩槻 ひな祭りと雛人形の由来 重陽の節句 菊の被綿式部が道長夫人の源倫子より菊の被綿を贈られて大感激して詠んだ歌が有名です。

菊の露わかゆばかりに袖ふれて

花のあるじに千代はゆづらむ

 

因みに平安時代の宮中儀礼で観菊の宴(重陽の宴)が催され、杯に菊花を酌み交わし長寿を祝い詩歌を作ったと云われ、江戸時代武家でもこの菊の花を避けにひたして飲み祝った云われています。

今年は大祭が終了する二十三日まで飾らせて頂きます。

大宮八幡宮

—–  大宮八幡宮資料紙によります。 —–

帰りはコースを変え、京王・井の頭線 永福町駅から新宿駅西口行のバスを利用しました。

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重陽の行事 「菊の被綿(きせわた)着綿(きせわた)」

大宮八幡宮 社報103号より

旧暦で言う九月九日は、新暦では十月半ば頃に当たり、菊の花盛りの頃です。

菊は秋の代表の花となっています。

春は、夏は、秋は、冬は四君子に挙げられます。

「菊の被綿(きせわた)着綿(きせわた)」重陽の行事

菊の露は長寿の薬効とされ、陰暦九月八日に菊の花に綿を被せて置き、翌九日、夜露を染み込ませた綿で体を撫でると、老いを拭い去るというものです。

大宮八幡宮

〒168-0061  東京都杉並区大宮2丁目3−1

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重陽の節句 後の雛(のちのひな)

健康と長寿を願う「重陽の節句」

江戸時代には「後のひな祭り」という風習が生まれました。

これは九月九日の重陽の節句にひな人形を飾り、大人の女性が幸せと長寿の願いをこめるというもの。

虫干しを兼ねて節句人形を再び飾ることで、傷むのを防いで長持ちさせようという知恵もふくまれています。

——-      全日本人形専門店チェーン小雑誌より    ——-

後の雛

「和国の女児、雛遊びをなすこと、古き物語にも出でたり。

上巳の節に拠あるよし、三月の部に注す。

今また九月九日に賞する女児多し。

源氏物語には、尋常にも雛遊びありと見えたれべ場、重陽に翫ばんには、なほさもあるべきか。

俳諧、これを名づけて”後の雛祭”とす。

上巳に対していへるなり」    ———-  滑稽雑談 (正徳三) より

日本の女の子は雛を飾って楽しんで遊ぶことを古い物語にでています。

上巳の節句をとても楽しみ、今九月九日にも雛を慈しみ楽しむ女の子が多いです。

源氏物語にはいつも雛を飾って楽しむと言われ、重陽の節句もまた同じようになさっていたようで。

これを名づけて後の雛まつり」とします。

後の雛祭りも上巳のひな祭りも同じ行事です。

三月三日のひな祭り(上巳の節句)の行事と同じく陰暦九月九日の重陽の節句に飾るおひなさまを後の雛という

 

 

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