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寛永の末期に民間で雛遊びが定期的(三月三日)に行われる
京都で生まれた雛遊はあくまで貴族社会の縮図
京都の雛遊を江戸へもたらした一人として春日局と言われます。
京都から江戸へ雛遊が移入され、民間でも三月三日に定期的に行なうようになったのは、大体官営の末期頃(1640年)と言われております。
雛遊という呼び方から雛祭という呼び方に変わったのは享保(14716年)以前と言われていますから、江戸に移入してからもかなりの間、雛遊と言われていたわけです。
雛売
雛市とは違って移動販売の便利さがあったようです。雛売りも寛政(1789年)には雛市におされてしまいました。
2月中旬から「乗り物ほかい、雛の道具」と呼んで、葛籠を両掛けにして、売りに来たものです。
雛市
享保(1716年)に開市されたたものらしいといわれ、十間店は後に十軒店となりました。
場所は今の日本橋室町二丁目、三丁目にあたり