人形のまち岩槻 小木人形

雛人形製作にも ゛わ ゛を大切に

学校で教わる経営学の理論だけで、人形店の経営が出来るなら誰も苦労はしないだろう。実地の応用がいかに上手にできるか、理論では割り切れない実際面での出来事を、いかに上手に処理できるかなどが、店を良くするかどうかにつながると思う。

私が店の経営をにタッチするようになってから、親父 (小木和一)に良く言われるのが ゛原点を忘れるな ゛ということである。現状にとらわれ過ぎて、店の本質を見失うようではいけない、という戒めだと受け止めているが、これが中々出来ないことではある。節句人形に携わることが、生業であるが、毎年の売れ筋には波があり長期的な見通しの立て難い商売である。毎年の節句シーズン 雛人形・五月人形 が終わらないと結果が出ない。

そこで、学校では教えてくれないことで、手っ取り早く原点を忘れず、店の現状を見つめるのに最適な方法の一つとして、実行しようと常に心がけしているのが、゛わ゛の一文字である。゛わ゛には色々な文字がはてはまるが、私のモットーにしているのがは、゛和゛゛輪゛゛我゛であり、゛話゛である。

゛和゛は、全ての土台となる家庭の円満、地域和合の基に円滑な商売をこころがけることである。1923年より続く、我が店小木人形は岩槻駅前にて、先々代より雛人形を作り、且つ又販売を続けてきたが、時代の要求、駅前再開発のため、地域活性のためと信じ、作業場として活用していた現在地に小木人形の再出発を見た。色々な感情がもつれる中、私どもが地域の為、岩槻城の石組み・土台となって行こうと決心、権利変換に承諾をし、現在に至っている。

゛輪゛は、商売は全ての人と繋がりがあることを意味する。例えば、節句品を買いに見えられるお客さまのご家族の方はもちろん、ご親戚の方、お友達と幅広く、時には、商売を離れたお付き合いも生まれてくる。人との繋がりはおろそかに出来ない。人の輪、企業の輪、輪は無数にある。その輪から離れて孤立しては、商売は成り立たない。

゛我゛は、自分を良くわきまえることである。能力を磨くのは良いが、決して能力以上に背伸びしない。あせらない。常に自分の出来る範囲を忘れずに全ての事に当たる心掛け。己のことでもあり、経営者の立場でも同じ事だ。

゛話゛は、一つの技術として商売人なら上手であることに越したことはない。自分の考えを明確に伝え、また、聞けないようでは全てを壊しかねない。

言い換えるならば、日常のお付き合いを大切にし、そこからあらゆる人の声を聞き、お客様の気持ちになって行くということである。情報は目の前にぶら下がっていると思ってはいても、それに中々気付かない。

また、先々代がしたように、連綿と受け継がれて来た、人形師としての゛心゛ その声を聞くことである。

雛人形・五月人形とは、ただ、飾って置く、というのではなく、本当にお子様の身代わりとして、色々と祈願し、男児には夢を大きく育てて欲しい、とまた女児にはお雛さまに心の内をうちあけ、ともに喜んだり、また時には、泣いてみたりと、お雛さまとお子様とがお話が出来、本当に活躍して貰えるように、なって頂きたい、親御様はそれを願う。

当家先々代は壮年期の時代に戦争を経験し、戦後もしばらくの間、節句品は世の中からは受け入れられず、我が家の押し入れに静かに収め、世の中の平和が戻り、必ず純粋にお子様への愛の証として喜びの相で迎えて頂ける日が一日でも早く訪れることを待ち望みながら雛人形・鍾馗(しょうき)・神武天皇に面相の筆を入れた。と聞かされ私は育った。

「この人形まは何処の子に行くのかな」と言っていたことも子供心に覚えている。父もその先代から頭師の修行をし技と心を受け継いだ。そして今の私へと続いている。
もっと敏感に何でも咀嚼し分析出来る感性を磨かなければならないとは、自覚しているのだけれども。やはり、毎日が勉強であり゛わ゛を大切にすることが、私自身を向上し、店を発展させる土台になる、と自分に言い聞かせる日々である。
これからもお客様に愛される雛人形・五月人形をご提供して行きたいと思います。

岩槻人形店  小木人形   店主 小木 一郎