上杉神社所蔵 重要文化財 上杉謙信公飯綱権現前立兜模写 No4131
上杉謙信―北天の守護神・陣幕飾りが飯綱権現前立兜を引き立たせます。
重要文化財 色々威腹巻具足模写(飯綱権現前立)兜陣幕飾り
【サイズ】 間口55cm×奥行35cm×高さ57cm
- 兜は六十二間の筋兜、前立には謙信公が深く信仰していた戦勝の神・飯綱権現の前立でリアルに
- 兜は上杉家独特の三段笠錣にの下にさらに二段の錣が付いています。
- 飾りは場所をとらない簡単陣幕飾りで兜を引き立たせます。
- 上杉謙信が戦いの際に本陣に用いた旗『毘沙門天』の一字。
腹巻とは、南北朝と時代が進むと歩兵戦法に変わり、太刀・薙刀・槍を使用するため、
腹巻に袖をつけてものを着用するようになった。
室町時代には大鎧は衰退され、腹巻鎧は武将にも好まれ、大鎧の略式具として、各所形が整えられた。
国宝 洛中洛外図屏風 上杉本
狩野永徳が描いた洛中洛外図の最高峰。
第一三代将軍 足利義輝が永徳に描かせ、義輝没後の永禄八年(1565)九月に完成。
その後織田信長が入手し一五七四年に 同じ天下を狙う上杉謙信に対して先に天下に手を掛けた織田信長が、それを誇示するために、上杉謙信へ贈ったと考えられている。
上京隻の下方中央に大きく将軍邸がある。
下京隻の左上隅に比叡山があり、左から右へ鴨川が流れ、左方中ほどに御所が大き描かれている。
御所と将軍邸を各隻に対比させて描く室町時代に描かれた洛中洛外図の基準的な画面構成である。
この屏風は緻密に2485人の人物が2.5cmの大きさに克明に描かれている上杉本の作られた理由 戦国時代 越後の上杉謙信は越後と北信濃を拠点に次第に勢力を増しつつありました。
天下統一を狙う織田信長はそうした謙信との駆け引きに高価な贈り物を利用しました。
その一つに『洛中洛外図の屏風』があったといわれます。
また、謙信が二度上洛し謁見を求め、忠誠を誓った将軍足利義輝が謙信のために描かせたという説もあります。
ところが、目的を果たす前に義輝が没してしまったため、のちに信長が引き継いで謙信に贈ったという伝来です。——
◆ゆかりの地◆
春日山城跡――――新潟県上越市
上杉謙信の本拠として知られる山城跡。謙信が出陣前に必勝祈願をされた毘沙門堂(復元)や、直江兼続の屋敷跡を見ることも出来る。
春日山城跡
★ JR春日山などからバス