歴史と人形のまち 岩槻へようこそ 「浄安寺」

浄安寺 山門から眺める本堂

浄安寺(さいたま市岩槻区本町5-11-46)

このお寺の本尊には阿弥陀如来が祀られています。

また、円空仏など数多くの寺宝や文化財が伝えられており、境内には児玉南柯の墓があります。

このお寺の山門は「槍返しの門」とも言われています。

★ 児玉南柯は江戸時代後期の岩槻藩士で儒学者であり、後の藩校となる私塾「遷喬館」を開設し、藩士等の子弟の教育に当たった人物です。

歴史と人形のまち岩槻 浄安寺

——- 市報さいたま 岩槻区版 抜粋 ——-

時の鐘から徒歩2分余りです。

今日はちょっと早い気もしますが、リリーンリーンと今年初めて鈴虫の美しい音色を聴きました。

これからの毎日が楽しみです。

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(岩槻工業団地内)

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歴史と人形のまち 岩槻へようこそ  「岩槻藩 遷喬館」

岩槻藩 遷喬館 (さいたま市岩槻区本町4-8-9)

遷喬館(せんきょうかん)は、岩槻藩に仕えていた儒者・児玉南柯(こだまなんか)が完成11年(1799年)に開設した私塾で、後に廃校となりました。senkyoukan2-600

最盛期には梅林を伴った敷地に武芸稽古所や南柯の自宅、観望台なども設けられていました。

現在まで残っている藩校は、埼玉県内では遷喬館のみで、昭和14年に件の史跡に指定されました。

遷喬館という名前は「詩経」の「出自幽谷遷于喬木」という一節に由来したもので、「学問を欲し友を求める」ことを「鳥が明るい場所を求めて暗い谷から高い木に飛び遷(移)る姿に例えたものです。

「ここで学ぶ子供たちに高い目標をもってほしい」という南柯の願いが込められたものと思われます。



東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩7分
―——- 市報さいたま 岩槻区版より抜粋 ——-

 

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